~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
鴻門の会 (九)
翌朝、劉邦りゅうほうは馬車で霸上はじょうを出た。
車内で陪乗ばいじょうする者は小男の張良ちょうりょうであり、馭者ぎょしゃ台の横にすわっているのは樊噲はんかいであった。樊噲は岩のような肉体を上等の甲冑かっちゅうでつつんでいた。樊噲は、
(今日、おれは死ぬだろう)
と覚悟していた。あきらめと、それ以上に積極的なはげしさが樊噲の五体にみなぎっていた。樊噲は人間として不必要すぎるほどに強靭きょうじんな筋骨と生きてゆくうえで邪魔になるほどの感激性を持ち合わせて成人してしまった。ただ体が大きいわりには欲望が少なく、はいの町で犬の屠殺とさつを稼業にしていたときも、変に無欲だった。淋しがりやでもあった。劉邦を知った時から劉邦について歩きたがり、劉邦のそばにさえいれば多量に持っているその淋しさの感情がまぎれるらしく、ついには劉邦がいないとこの世で生きてゆく気にもしなくなるほどまでになった。
(今日、わしは死ぬのだ)
彼は、くりかえしつぶやいた。
樊噲に栄達欲などはなかった。劉邦が死ねば自分も死ぬし、劉邦に死をまぬがれさせるためなら自分は千度死んでもいいと思っていた。
劉邦の馬車に前後している人数は、百騎あまりにすぎない。
それらを指揮している者は、沛の県庁の馭者だった夏侯嬰かこうえい靳彊きんきょうらであった。彼らもまた大なり小なり樊噲に似たような感情を持って劉邦に結びついていた。彼らにこういう感情を起こさせる劉邦というのは、やはりとくべつな人間であるかも知れず、逆に彼らが異常なのかも知れなかった。
劉邦は車中でおの長い上体を揺れさせている。
霸上の丘から本道に出た。左へ行けば咸陽かんようだが、劉邦らは右へとった。道ははるかに潼関とうかん函谷関かんこくかんに通じているが、めざす鴻門こうもんはむろんそれよりもずっと手前である。馬車の前方の右側に冬でも蒼く、それだけで奇跡のような感じがする驪山りざんの丘が高く盛りあがっており、あとはその青い一点をひきたたせるように一面の黄土地帯がひろがっていた。馬車が驪山の北麓をかすめて過ぎた時、劉邦は少しめまいがした。
「ゆうべは、ねむれなかった」
と、劉邦は肩を落とし、張良に言った。血の気のない顔が、くびからぶらさがったようにして揺れている。
(正直な男だ)
張良は思った。あるいは劉邦が劉邦であるのは、自分の弱味についての正直さということであるかも知れなかった。
「あれに、始皇帝しこうていの陵が見えます」
張良が、劉邦の気をまぎらわせようと思って、指をあげた。
「見える」
劉邦は、うなずいた。あの陵墓の賦役ふえきから逃げた自分がついに秦をくつがえしてしまった。その自分が、いま屠所に曳かれるように項羽の陣営の陣営にむかっている。それらのことを地下の始皇帝はごう思っているであろう。
(秦を亡ぼしたのは、はたしておれだろうか)
劉邦はごくあっさりと、
(おれではない)
と、思っていた。この男は、こういう点での自分をよく知っていた。顧みると始皇帝の死後、大小の流民がしだいに数を増して行き、ついにはその一方の大親分として自分が存在するようになったが、しかし項羽の吸収力の方が巨大で、人数の点では比較にならなかった。そかもその項羽が河北で秦の主力軍をひきつけておいてくれたおかげで、自分は河南へ南下し、関中かんちゅうにその南方の搦手からめて(武関)から入ることが出来た。功の九割までは項羽に帰せられるべきだということは劉邦もよくわかっていたし、関中にまず入った自分を項羽が怒っている気持ちも、当方から手をってもっともだと声をあげてやりたいほどにわかっている。もともと劉邦という人間のある部分にはその種のことがよくわかる聡明な感覚があった。
2020/04/13
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