~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
関 中 へ (三)
この男が、しんへの反乱の最初である陳勝ちんしょうの爆発が広がった時、そこへ身を投じなかったのは、ふしぎなくらいである。ひとつは陳勝の反乱が広がって行く地帯よりやや南に淮陰わいいんがあり、すぐけつけられなかったということもあるだろう。しかしそれ以上に、淮陰より南方の長江ちょうこうの南で成立した項梁こうりょう軍のほうにこの男が興味を感じたということもあった。陳勝のひろがりはつつみを切った洪水のようにさかんであったが、しかし流民団の集まりであるというところに韓信の好みに合わないところがあった。項梁の率いる軍も似たようなものではあったが、項梁という知的な親玉が率いるためにまだ古来の正規軍に近いというていがとられていた。正規なものを好むというあたり韓信の長所と弱点があったともいえる。
彼の軍事能力は、漂泊中の空想の中で育った。
── おれに十万の軍を持たせれば。
と空想する時、この卓越した想像力を持つ頭脳の中に起伏した山河がひろがり、十万の軍が韓信かんしんごのみに部署され、ときに精密にときに粗放に進退し、同時に彼が想像力によって現実以上に現実感をもってつくられた敵軍と音をたてて戦うのである。戦えば必ず勝つ。韓信は常にこの想像の中にいた.
この男に欠けているのは、人との関係を旺盛おうせいに微妙に魅力をもって進んで行くという感覚だった。このために、漂泊中も遊俠の仲間には入らなかった。これに引き替え劉邦りゅうほうは遊侠の徒で、人と人とをつなぐ彼なりの組織を持っていた。この組織の中に流民を吸収してふくれあがった男であったが、韓信は流民を引きつけることが出来ず、ましてその親方になる性格も能力もなかった。
彼の性格と才能の場合、既成の軍隊に雇われざるを得なかった。それにはより姿の整った項羽軍に魅力を感じ、項梁が淮河わいがを渡った時、その軍に投じたのである。流民軍を率いて合流するという形でなかったために ── いわば個人的な就職であったために ── その処遇はかった。
項梁が戦死した。引き続き韓信は、項羽こううに仕えた。韓信がたとえ百人であっても流民団の長であれば項羽もあるいは謀将の范増はんぞうも多少はその視野に入れたちがいない。項羽も范増も、この点、ぬかった。彼らは韓信の雄大な肉体的特徴を知るぐらいで、肉体の内部までは関心を持たなかった。
人才に対する鈍感さは、逆に言えば項羽軍の特徴でもあった。勇は項羽一人で十分であり、智は范増ひとりで十分であると思い込んでいる項羽軍首脳にとっては、才気のある者を常に探さねばならぬという必要など頭から認めていなかった。韓信はさかんに自薦の運動はした。しかし項羽や范増からすれば、この淮陰の男はその大きな図体ずうたいをつかってせいぜい護衛の下級士官を務めていればいいというのが大体の認識だった。
韓信は、憂鬱した。
2020/04/18
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