「言っておくが、わしはこの関中にとどまる気はない」
と、項羽が宣言するように言った時、満座が項羽の意中を察しかね、激しく動揺した。百城千堡を攻めつぶした諸将にすれば、何のために苦労して関中をめざしたかわからない。
では、どこへ都をおお定めになるのでございましょう」
と、一人の男がとび出し、昂奮のあまり叫んだ。
「彭城ほうじょうだ」
項羽は言った。
「彭城でわしは西楚せいその王になる」
この言葉は、さらに一同を驚かした。
関中王になってこそ地政上、諸王の盟主になり得るのではないか。項羽は、玉ぎょくをつかみながら自らそれを捨てたにも等しい。彼がここで卒然そつぜんと立国を宣言した「西楚」とは、現在の省名でいえば安徽あんき省の一部、江蘇こうそ省、浙江せっこう省といったふうな旧楚の版図はんとの大部分であろう。米作地帯を主として北部に一部作地帯を持ち夏は高温多湿で物成りは悪くないが、この時代の防衛思想から言えばとりとめもない広闊の地で守ることがむずかしい。
「その理由は?」
飛び出した男は、項羽に迫った。
項羽はその男の無礼さに腹が煮えかえっていたが、理由を問われた以上、なにか気の利いたせりふ・・・を吐かざるを得なかった。
「譬たとえて言えば ── わかるか ── わしは天下を得た。富貴を得て故郷へ帰らないというのは ── 聞け ── 夜、錦にしきを着て歩くようなものだ」
と言った時、その男は項羽がその名声のわりにはあまりにも稚おさないことに驚き、肩を落として席に戻りながら、楚人は猿だと世間では言うが、よく言ったものだ、とつぶやいた。ついには声をたてて笑い、猿が冠かんむりをかぶっているようなものだ、とその男が言い終わった時、項羽は逆上した。
項羽ならずともそうであったろう。戦国とそれにともなう古代商品経済の沸騰ふっとう期を経たばかりのこの時代は、社会が人々の個性に寛容だった。棘とげのある者も半狂はんくるいの者も自由にのし歩くことが出来た中国史上最後の時代といってよかったが、それにしてもこういう男は珍しかったと言っていい。
項羽はすぐさま庭に大釜おおがまを運び出させ、その男を放り込ませた。男は煮殺されてしまったが、息が止まるまで項羽を嗤わらうことをやめなかった。 |
2020/04/19 |
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