~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
関 中 へ (七)
項羽こううは、論功行賞を発表した。
彼にとって頭痛の種だったのは、飾り物のかい王の処遇だった。
── あれは本当に旧の王家の血筋をひいているのか。
と、かつて項羽は范増はんぞうに聞いてみた。もっとも「懐王」をかつぐことを范増が亡き項梁こうりょうに進言し、范増がどこかで羊飼いをしていたというあの人物を連れて来たのである。范増は策士だけに実際はただの男に王冠をかぶらせたのかも知れず、そういうことをしかねない老人だった。范増はこの時の項羽の質問の本旨には答えず、
「王というものは、人々が推戴すいたいすれば王なのです」
と、簡潔に言っただけだった。
しんを倒すまでは、旧楚の人民を結集させるために、それこそ旧楚の王孫である、という者を王として推戴しその勅命によって項羽以下の諸将が動くということは必要だったが、すでに秦が亡んだ以上、この飾りものが必要であるどうか。百戦に功があった自分こそ帝位につくべきではないか、という気持ちが項羽にあった。しかしすぐさまにはどうこうは出来なかった。
「義帝」
という称号を懐王にたてまつった。義は、正しさのために自然の人情をえる倫理姿勢を言う。この語感には、後世、「外からかりりたもの」という意味が加わってゆく。この当時から、すでに「実行上むりはありながら」とう意味もことばの中に混じっていた。しかし言葉の建前としての意味は、あくまでも正しさ、ということである。ただしその正しさは個人の倫理感覚による判断というより衆人がともどもに認めるというたぐいのもので、この時代のこの場合の語感としては「衆ノ尊戴スル所ハ義トフ」というほどの意味であった。
その点、義帝とはうまく命名した。
しかも、帝である。
帝号を称したはじめはいうまでもなく始皇帝だが、王の上にあって大地のつづくかぎりを支配する唯一人をいう。
項羽としては、懐王の処遇と同様、彼なりに頭をつかったのは劉邦りゅうほうの処遇だった。
亜父あほ(范増)ななたのお考えはどうですか」
と問い、范増が献言すると、ひざを打って賛同した。
劉邦の運命は決まった。
2020/04/19
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