~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
関 中 へ (八)
劉邦には巴蜀はしょく漢中かんちゅう (関中ではない)をあわせた地を与えた。そこの王に封ずるという。
僻地 へきち である。項羽にとってもその地が西南方の大山脈のどのあたりの かげ になり、どういう文化をもつ人間どもが み、それへ至るには関中からどの道を 辿 たど ればいいのか、見当もつかない。ともかくも 中原 ちゅうげん の人々にとって、日常的な地理感覚の そと にあった。
巴も蜀も漢もいうまでもなく地域名である。
巴の古字はミミズのような虫の形からきている。中原の人々がこういう文字をその地位にあたたたえたというだけでも、異族の棲む様な癖地という感じがあった。蜀も虫という文字が入っており、虫同然の人間がすむという感じでみられていた。今日になってしまえば事情が異なる。巴は 四川 しせん 重慶 じゅうけい 地方であり、蜀は同じく 成都 せいと 地方で、このあたりが開けた中国史のある段階からはは巴蜀といえば今の四川省をさすようになった。ただし今日でもこの辺りは少数民族が多い。
関中(漢)も、はなはだ ひな びる。今でいえば 陝西 せんせい 南鄭 なんてい のあたりの地域で、巴蜀とはちがい、関中から遠くはないとはいえ、途中の道の 嶮岨 けんそ であることは言語に絶する。
つまりは、劉邦は約束の関中を はず され、漢中王になることになる。関と漢は日本では同じ おん になってしまっているが、この時代まったく相違し、現在でも関はkuanであり漢はhanで音としても通じるところがない。
「巴蜀・漢中というのはどういうところだ」
と項羽が問うと、范増はんぞうは笑って、どういう処もなにも、劉邦がそこへ軍勢を連れて行くだけでも過半は途中で逃げてしまうでしょう、といった。
「兵どもが逃げるか」
項羽は、笑いだした。兵がみな逃げて劉邦一人が残っている想像の景色が、項羽のおかしみ・・・・の感覚を刺激したのである。
「ひどいところか」
「なんといっても、しんのころ、流刑人を送った土地です。どんな悪人でも漢中や巴蜀に送られると聞くとふるえあがったといいますから」
「すると、劉邦は容易に出て来れまいな」
と、項羽は聞いた。
「彼はの地で死ぬでしょう」
范増は言った。彼の持説は劉邦を殺さねばあとにくいがあるということであったが、劉邦というあの項羽の競争者を、大地そのものが巨大な牢屋ろうやといった土地に閉じ込めてしまえば殺したも同然であると考えた。
問題は、宝石にも等しい地というべき関中をたれに与えるかである。范増にすれば、項羽gはその諌言者かんげんしゃを煮殺したほどに大陸性制覇の要地をきらっている以上、いてはすすめない。その代案として関中を三分し、亡秦の降将あがりである章邯しょうかんとその旧同僚の司馬欣しばきんならびに薫翳とうえいに与え、それぞれ王にすることを献言した。章邯を擁王ようおうとし、司馬欣をさい王とし薫翳をてき王とする。といこの范増の案は、
── 秦人(関中の民)おさめるには秦人がよろしゅうござろう。
という理由によるものであった。項羽も賛成した。
2020/04/19
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