死刑囚の韓信の目の前を夏侯嬰が歩いている。
かつて沛のはい町の馬車の馭者ぎょしゃだった夏侯嬰は、商売柄なのかどうか、車戦の指揮がたくみだった。何度も戦いを勝利にみちびいてきたが、しかし本音は軍隊指揮をあまり好まず、暇さえあれば劉邦の馭者を務めた。劉邦は項羽から巴蜀はしょく・漢中も王に封ぜられたとき、王としての形式を整えるため配下にふんだんに爵しゃくを与えた。劉邦一個の護衛者である樊噲も舞陽侯ぶようこうと称せられ、同じ仕事をしていたように、馭者の夏侯嬰も藤公とうこうと称せられながら、馭者台で相変わらず鞭を空くうに鳴らしていた。もっとも、この難行軍では馬車が使えないため、樊噲と交代で劉邦をときに背負ったりした。このため、常に劉邦のそばにいた。
この韓信らの処刑の時は、夏侯嬰は他行たぎょうしていた。用を終えて戻って来ると劉邦が軍法を犯した者の処刑の見聞をしている。すでに、十三人が首を刎ねられ、次は韓信というときに、夏侯嬰はひと目見て、
(こいつは尋常の人間ではない)
と思い、劉邦のもとに駈け寄り、
── 主上しゅじょうよ、あなたは天下をお望みにならないのですか。
と、ささやいた。この点、劉邦というのは配下にとってじつに話しやすい男だった。主上、あなたには目がないのか、あの男の面魂つらだましいを見るとゆくゆくどういう御役にも立つ男です。と言ったので劉邦はあわてて処刑人を制し、韓信の縄なわを解かせた。
それだけではなく劉邦は韓信を別室に呼び、彼の戦略戦術にについての話を聞き、理解出来たのかどうかは別として、大声を出して感心した。その感心のしるしなのか、韓信を治粟ちぞく都尉といという官につけた。郡糧や軍用銭お預かり出し入れする役職で、兵站へいたんの一将校といっていい。韓信は喜ばず、むしろ悲しんだ。
「これなら首を刎ねられていた方がましだった」
と、連敖れんごうのころの同僚たちに言った。同僚たちは韓信を半ば狂人だと思っていたから、声を合せて大笑いした。こいつは命拾いをした上に出世をした。それでもなお不足を言っているというのは脳の具合がおかしいのであろう。
当の韓信は、自分を影のような人間だと思っている。
さほどに生存欲はなく、まいて出世欲などはない。といって厭世えんせい家ではなく、ただひたすれ自分の脳裏に湧いては消える無数の戦局をほんもの・・・・の大地と生命群を藉かりることによって実現してみたいということだけが、この世で果たしたい希望であった。想像の上の戦局では韓信は常に勝った。これを実際にやってみない限り想像は湧きつづけるばかりであり、湧くということはとめとうがなく、捨てておけば頭が割れてしまうのではないかとさえ思っている。
行軍中の治粟ちぞく都尉といの実際の仕事というのは、まことにくだらない。軍夫の親方で、重い荷を担いで桟道さんどうをわたってゆく軍夫たちを督励するだけだった。毎朝、起きると軍夫の数をかぞえねばならない。彼らはこの苛酷な労働にたえかね、夜陰、食糧を持ったまま逃げた。
── おれの方が逃げだしたいくらいだ。
韓信は、毎朝、陰鬱な顔で人数を数えた。 |
2020/04/26 |
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