~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
彭城の大潰乱 (四)
劉邦りゅうほう── 漢軍 ── は進発した。
ときに初秋で、山岳の日中はを灼くようにあつく、夜は冬のような寒気が谿々たにだにから吹きあげ、星空を凍らせた。
すでに漢軍は漢中かんちゅうに入るに際し、みずから行路をち、桟道さんどうを焼き、ふたたび関中かんちゅうに出る意思のない事を示した。このことは、中原にいる項羽こううを安心させた。さらに項羽が、劉邦ふせぎのために関中にほうじて王とした亡しんの将章邯しょうかんをも安堵させた。
「劉邦は漢中にもぐりこんで、かの地で老死するつもりでいる」
と、章邯はひとにも語った。
秦の末期に常勝将軍の名をほしいままにした章邯でさえ劉邦をそのように判断したのは、彼が秦人だけに地理を知りぬいているためであった。関中とのあいだに天にのぼるよりもかたいという絶巓ぜつてんがかさなり、道はなかった。天をつらぬくような断崖にさんというたなが掛けられ、わずかに片足を置かせ、ついで他の足を前に踏み出すという道がつづいているにすぎず、その桟道は漢軍が漢中に入る時、背後から項羽軍に襲われぬよう自らが焼き払ってしまっている。劉邦が鳥にでもならないかぎり、外界へ出ることは出来なかった。
が、劉邦は韓信を得ていた。
韓信は関中へ侵入するにあたって、まず桟道の再建工事からやえいはじめたのである。軍隊としては未曽有の大工事だった。
「東へ帰るのだ」
と、兵たちをはげまし、木をらせ、背負って岩場にのぼらせ、岩を穿うがって支柱を斜めにし、その上に桟を作らせた。地崩レ山くだケテ壮士死ス、というのは後世、李白りはくが道のかたさを詠んだ詩句だが、木ノ実がころがり落ちるようにむなしく地の底のような谷に落ちてゆく兵も多かった。
兵たちは、たとえ故郷でまくても、人間の世界に帰りたかった。そのために苦痛をいとわず、昼夜働いた。韓信は、ふしぎなことにどこにでもいた。何人の韓信がいるのかと人々がいぶかるほどに、この男はどの工事現場にも出没して、兵たちをはげました。この男は、たしかに将軍に必要な仁強の性格を持っていた。この工事のなかで、兵たちと韓信のあいだに愛情のきずな・・・が出来き、この男と一緒に故郷へ帰るのだという思いがたれの胸にも灯のようにともった。
2020/04/29
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