~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
劉邦の遁走 (三)
ところが嬰は、李三が死ぬと、乗りかえるようにして、劉邦に傾斜してしまった。
役所の仕事が終わると、劉邦についてまわった。李三と劉邦はずいぶんちがった人間であったが、人に磁石のようにつく・・ことで精神の磁力が保たれているような嬰にとって、両者の相違などどうでもよかった。
── 劉さんがいかにすばらしいか。
ということしか、やって来た嫺嫺に話さなかった。
「あの人は雲だね。とらえどころがないんだ」
などと言った。
嫺嫺は、劉邦がきらいだった。嫺嫺だけでなく、の町の女で、劉邦という年中町をごろついている男を好きだと思っている者など居なかったといっていい。法螺ほら吹きで、みなり・・・だけをかまい、そのみなりも田舎いなか太公たいこうといった感じで泥くさく、仕事ぎらいの怠け者ときている。その上、欲がふかく、利益のあるところには必ずあのひげ男が居た。
「あんな欲深のどこがいいんだか」
嫺嫺は言った。
「欲が深いからあの人は頼もしいんだ。無欲だとすれば単なる隠者いんじゃじゃないか」
と、夏侯嬰かこうえいは言う。
嬰は、役所が暇な時は、役所の馬車に劉邦を乗せた。一種の汚職だった。しかし県令は雲のうえに居て、劉邦が自分の馬車に乗っているなどとは知らない。吏員のおさ蕭何しょうかも、蕭何の次席格の曹参そうしんもみな劉邦の子分だったからこれについて見て見ぬふりをした。
「あんたは何のために亡父ちちから馬を教わったの」
嫺嫺がののしることがあった。
嬰は、運命論者になっていた。自分は李三爺のおかげで馬の全てを知り、それを知ったおかげで劉邦さんに仕えている、これは天のめぐらせというものだ、と言った。
「あんたは、県令の馭者じゃありませんか」
仕えている主人は県令であって劉邦ではあるまい、劉邦から一銭でも扶持ふちをもらったか、むしろ自分の馬を持ちだして銭無しの劉邦を喜ばせているだけではないか、よ言った。
「なにをいう」
嬰は、言った。
「私はだ」
「士?」
嫺嫺にとってわらうべきことだった。文字もない貧農の子が士であるはずがないではないか。
「私は冗談を言っているのではない。まぎれもなくこの夏侯嬰は士なのだ」
それにしても劉邦という存在は不可思議であった。夏侯嬰らに士であるという意識を持たせたのはどういうことであろう。
「士とは、自覚的なものだ。みずからしゅを選ぶ者のことをいうのだ。私は県令のとっては馭者にすぎないが、劉邦さんに仕える時はまぎれもなく士だ。なぜなら、私は県令を主人といて選んだ覚えがないが、劉邦さんを主であるとして選んだのは、私だ。だから私は士だ。以後、私は士として生き、士として死ぬだろう」
と、言った。
以下のことは、かつて触れた。劉邦が沛以外では無名のごろつきだったころ、暇つぶしに県の役所で刃物をふるってたわむれていた時、あやまって夏侯嬰を傷つけたという一件である。あの時県令はこれをし機会しおに劉邦を捕えてしまおうと思い、被害者の夏侯嬰に害を加えられた証言をさせようとした。が、嬰は劉邦をかばうためにがんとして口を割らず、このため偽証罪で投獄され、むち打ちの刑をうけ、一年余りろうにいたが、それでも音をあげなかった。嬰は、たしかに士であった。士以外にこういう倫理性を持たないからである。
2020/05/12
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