そのうちに、秦末の乱になり、夏侯嬰かこうえいは劉邦に従って流転した。やがて形勢が一転、二転して劉邦が漢中の王になり、さらに関中をあわせて領すると、この男は侯に列せられたが、当人はべつに嬉しがりもせず、劉邦の馭者台から離れず、相変わらず鞭/rb>むちをあげて馬を走らせていた。
嫺嫺/rb>かんかんは、夏侯嬰の実家にいて、その老父に仕えていた。
結婚したわけではなかった。この時代、庶民にいたるまですでに嫁とりの儀式はやかましい形式でかためられていたが、かんじんの嬰の意思が明らかでないため、嬰の老父はどうしていいのか、婚儀につき身動きが出来なかった。
嬰は、漢軍とともに他郷を転々といていた。
やがて沛/rb>はいの郊外の豊/rb>ほうの劉家にいる劉邦の家族 ── 老父と妻子 ── が、王陵/rb>おうりょうの秘密部隊の手で漢軍に引き取られた時、嫺嫺もその一行に加えてもらい、漢軍の所在地へ行った。漢軍は西に向かって行軍していた。
「小子娘しょうじょうし」
と、嬰は昔どおり主人の娘をよぶ呼び方で呼んでくれた。
(この男は、なぜ私を嫁にしないのか)
今、戦の最中であるからなのか。
しかし、軍中、妻子を連れている者もいた。そのことは将軍よりも兵卒の場合に多かった。彼らの前身が流民であったからで、軍隊の賄まかないを彼らも食っていた。このため嬰が嫺嫺を軍中に置くということに不自然さはなかったが、しかし嬰自身の仕事が仕事であった。馭者であるためいつも劉邦と一緒にいる。馭者は独り身であることが望ましかった。
馭者ということについては嬰がまだそんなことをしているということが嫺嫺にはふしぎに思われた。沛で聞いた噂ではすでに列侯に身分になっているということだったが、嫺嫺が出会った時、嬰は二頭の馬に挟まって、いかにも可愛いといったふうに、その脚を水で洗っていた。
「小娘子」
と、彼が驚いて声をかけたのは、向こうの馬の下からだった。
馬の間から出て来た嬰に、嫺嫺は、あなたは列侯ではなかったのか、と聞いた。
「列侯だ」
夏侯嬰は、それが嬉しいわけはなく、ただ、事実を言った。
「列侯の身で、馭者なの」
「馭者だよ」
一生、馭者だ、と言いたそうな顔であった。
「嫺嫺は何をしに来たのだ」
「わたし?」
とっさに、嫺嫺は言った。
「あなたの子を産みたくて来たのです」
兵士たちがすでに人垣をつくっていたが、嫺嫺のその言葉を聞いてどっと笑った。
「おれにはその間まがないんだ」
と、嬰が大真面目に答えたために、兵卒たちの間には抱腹ほうふくしてつんのめる者さえいた。嬰はたれにも好かれていた。
おそこへ劉邦が、出て来た。
「あれは、おまえの嫁か」
と言いつつ、視線が嫺嫺のしなやかな体の線を追った。嬰は劉邦の好色を知っていたから、返答に窮した。嫁でないと言えば、劉邦のほうがこの小娘子に子をうませてしう。
「嫁です」
とあわてて言った。
「おまえに嫁があったとは、聞いていない」
劉邦は、下唇を垂らして、嬰をかえり見た。好き心がきざしたときはいつもこういだったから、嬰はあわてて、李三りさん爺いらいの事情を説明せざるを得なかった。
「ああ」
劉邦は無邪気に笑った。この場合、欲心が鎌首かまくびをもたげているのに劉邦はそういう笑顔を自然にひらくことが出来る男で、劉邦の肚の底には海のような広い無邪気さが湛たたえられているのかも知れなかった。
「馬飼の李三ならおぼえている。その娘か。・・・しかしわしはお前さんの顔を」
と、嫺嫺のほうを見て、
「窓からのぞいたことがない」
と、言った。窓からのぞくとは、新郎と新婦の寝室の窓下に友人たちが集まってその語らいを盗み聴きするということで、沛の婚姻の土俗であった。嫁になったとは聞いておらんぞ、という寓意ぐういである。嬰はあわてて、
「そいつは、まだなんで」
と、頭に手をやった。
「こんな女が生娘きむすめのままでいるのは、目障きめざわりでならん」
劉邦はわざと腰をかがめ、嫺嫺に寄って行って果物でも見るようにたっぷりと眺めた。
「早くやれ」
婚儀をである。
「ときあたかも仲春ちゅうしゅんではないか」
劉邦は大ぶりに空と野を指さした。たしかに天地は春半ばであった。婚儀というのは手間ひま・・かかるが、古代の周しゅう以来、帝王たちは農民に対し、仲春にかぎって儀礼なしの婚姻を許した。男女が相あい会あえばそれで夫婦になる。仲春は畜類でさえ春を催すからだという。劉邦はその事を言っているのである。
「嫺嫺よ、お前は今夜から夏侯嬰の女房だぞ」
劉邦は鶏のような足どりでさらに寄って行き、顔を嫺嫺の耳たぶまで近づけ、そう言い終わると、洗ったような別の表情になり、嫺が顔をあげたときはもうそのあたりにいなかった。
(なるほど、嬰がくっついてきたはずの男だ)
と、嫺嫺はぼう然とした。やっと腑ふに落ちた感じであった。 |
2020/05/13 |
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