まことに仲春で、秋ならおそろしいほどに気の澄んだ黄河の東流するこのあたりも、靄気あいきのために星の数が少ない。
嬰えいと嫺嫺かんかんは、軍旅が宿営している村々から離れて、未耕の台上にすわっている。短い草たちが露を含んでいるが、嬰が冬用のかわごろもを敷いているために濡れることがない。この裘かわごろもは嬰が兵卒から略奪品を頒わけてもらったものである。略奪品といえば、嫺嫺にも、嬰が兵卒の間をっまわって頒けてもらった草色の絹のきものを着せてある。袖そでが腕の長さより一尺も長く、すそ・・もひきずるほどに長い。えりは黒であった。この時代は、男は下帯したおびをつけず、女は裾したもをつけなかった。このため交合が容易だったから男女間の事故が後代より多かったといわれる。
大男の嬰が、四方の胡人こじんのようにひざを組んですわっている。その上に嫺嫺が裾をたくしあげてしわっており、小柄だが蝉せみが木にとまっているように見えなくもない。蝉といえば嫺嫺は小娘の頃、蝉とりが上手で、暗夜に火を焚たいてはね・・の透きとおった蝉を捕っていた。
遠くに、篝火かがりびの群が地の星のようにかわ・・沿いに連なっている。
(なんと、頸くびの細い。・・・)
自分の羽交はがいの中で身をすくめている嫺嫺が、平素たかだかと物を言うにしては、晩春の蝉のようなはかなさであった。嬰はいとおしさで狂いそうだったが、挙動はそうではない。
「本望だ」
と、嬰は、嫺嫺の中で自分自身が存在しきったと思った瞬間も、わざと落ち着いてそんなことを言った。嫺嫺は、嬰のみぞおちに顔をうずめている。
本望とは、李三りさん爺の外孫そとまごを自分が生ませることになったことを言う。
「人間は、人の世でただ一つのことしか出来ない。李三爺は、馬を通してそのことをわしに教えてくれた。わしは劉邦さんについ・・てゆくだけで世を了おえるのだ」
(この人は、こんな時に、何を言っているのか。・・・)
嫺嫺は痛みと甘さを伴った激しい感覚の渦うずの中のほんの小さな片隅で、そんなことを思った。亡父のことは、理解出来るようになっていた。しかしいつもならつい反射的に、亡父のそに道楽のために子供たちが餓うえた、馬数頭を数年育てるためにどれだけの労力、あるいは 飼葉かいば作りという無駄な耕作が必要か、そんなことをする暇があれば他人の畑仕事に傭われるほうがよほど生計たつきのたすけになる、などと言い返していたかも知れないが、しかし今は嬰の声が、音階ごとにぶらさげた石の打楽器をかしかに叩いているように甘いリズムとしてきこえた。
もとも、嬰にとってもこのつぶやきは自分が淫事を行っているという意識を自分の中から押しのけつづけるために必要であった。しかし最後に、地の底から噴ふきあがるような感覚が爆はじけて、かけらも残さず砕けてしまった。
翌朝、嬰は嫺嫺を呂氏りょしのもとに連れて行き、自分の妻になったが掃除の仕事にでも使っていただきたい、とあらためて挨拶した。
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2020/05/14 |
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