舟が往くうちに、夏侯嬰は、このまま南岸についたところで仕方がないではないか、と思うようになった。対岸もまた楚の地である。そこは敵地で、劉邦を救う者など、一人もいない。
(逃げる方向が間違っている)
嬰は、思った。
南へ下るより、逆にはるか北方の沛はいへ行き、そこが危なければ劉邦が流盗時代に塞さいをかまえていた碭とう(江蘇省碭山県の南)へ転ずるほうがよいのではないか。そこならば劉邦の古なじみもいる。
夏侯嬰は、べつに智謀の人ではない。彼は身を捨てて劉邦につき従って以来、劉邦のことのみを想っているために、自然、思案も出来るようになっただけのことである
劉邦にはなんの思案もない。
彼はつねに献策者けんさくしゃが必要だった。たれかが知恵をしぼって何かを言うと劉邦はそれを採用する。献策者が複数の場合は、良案を選んでった。そういう選択の能力は、劉邦にあった。さらにそれ以上の劉邦の能力は、ひとがつい劉邦のために知恵を絞りたくなるような人格的雰囲気を持っているということでもあったろう。しかしこの場合ではそういう人間は夏侯嬰しかいない。
嬰は、献言した。
「北へ?」
劉邦は思わず大声を出した。対岸の戦場に戻るということではないか。北岸の修羅場しゅらばを通過しなければ北方の沛方面へ行くことは出来ない。
「幸い、闇やみに紛れ、大いに下流へ下って、北岸へ再上陸し、迂回うかいしつつ北へ奔はしれば、おらく楚兵もまばらでしょうし、なんとかなるのではありますまいか」
この方法をとるには、勇気が要いる。しかし死中に活かつを見出す以外、あたらしい運をつかみことが出来ないのではないか。
「嬰よ、お前のいうとおりにしよう」
このあたりが、劉邦のいいところであった。嬰も、自分の案が容れられたために大いに喜んだ。
彼らは闇の睢水すいすいをくだった。
その間、嬰は呂氏りょしたちの舟に出遭うはずだと思って期待しつづけたが、ついにそれを見ることが出来なかった。このため嬰は混乱し、劉邦に、探しましょうか、と言った。
「かまわん」
劉邦にとって、呂氏などはどうでもよかった。薄情というのではなく、この場合、漢軍にとって自分一人が助かるのが喫緊きつきんの主題で、たとえ呂氏が助かっても自分が死んでは何にもならない。
「彼らには、審食其しんいきがついている」
劉邦は、自らに言い聞かせるように言った。たしかに審という取り仕切りの名人がついていれば何とかなるだろう。 |
2020/05/19 |
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