随何たちは暗い部屋で待たされていた。部屋は、高床になっている。
床の上に敷物が布しかれ、その片隅に随何らがすわらされていた。青銅の燭台しょくだいに星ほどに小さな灯が五点ばかり燃えているが、その程度では互いの顔をやっと識別できるにすぎない。
部屋のまわりには警固けいごの軍士が詰めているらしく、ときに剣や戟げきの触れ合う音がした。
やがて、はるか向こうで扉が開き、大きな人影が入って来た。同時に十基ばかりの燭台が運び込まれ、それらはすべて随何らのまわりに置かれた。この光のむれによって黥布げいふの場所から随何たちの顔は眉まゆの動き一つも見逃さずに見ることが出来たが、随何は目をこらさないかぎり黥布の表情が読み取れない。
「私が」
黥布は、重い物体でもすえるようなきしみ音をたてながら、
「九江きゅうこう王だ」
と言って、すわった。随何は劉邦の代理であるためさほどの重い礼は用いず、ゆるゆると時候のことを述べ、黥布の健康を祝し、さらに劉邦からことづかった贈物をならべ、その品々の説明などをするうちに、黥布はたまりかねて随何の話の腰を折った。
「その方の言葉は太宰たいざいの楊ようから聞いている。それで会う気になった」
と、この巨漢にすれば小さすぎるほどの声で言った。あかりにのせいか、部屋の空気が黄河の水底のようで、空気と同じ脂色やにいろの大きな顔が隨何の目の前にあるのだが、唇が動くともみえず、声だけがかすかに聞こえて来る。
(こういう男だったのか)
随何は、旧秦しん兵二十万人を虐殺した男なら、血管までが無数の瘤こぶでふくらんだ異形いぎょうの相と虎とらのような生気を想像していたのだが、目の前の男はたしかに大瓦おおがわら一枚に鑿のみでするどく目鼻を線刻したような異相であるとはいえ、どこか熱に疲れた病み上がりの人を連想させた。
(この男は、利の計算に窮している)
黥布を、在来、餓うえた虎が肉を欲しがるように利お求め、利のためなら何をするかわからないという男として随何はとらえて来た。黥布はその利の計算をしぬいたあげく、窮している。この男を随何の掌中に入れるには、利の話以外にない。
この大陸は、戦国を経て、問答による雄弁の術が発達した。随何はまず黥布と楚の項羽の関係について問うた。
「あなたは楚に対して何でありますか」
「わしか」
黥布は、低い声で言った。
「わしは、北面して楚に臣として仕えている」
「しかしながら大王は項王の家臣ではありませぬ。楚においては同格の諸侯でございましょう」
随何は、形式論で挑発してみた。
「楚というのは項王のことだ。同格ではない。わしは項王に臣従しているのだ」
「よくわかりかした。
随何は一拝し、儒生らしく微笑をつくって黥布の言葉を承うけ、しかし大王の楚への臣従は実をともなっていない、といちいち実例をあげた。項羽の斉せいへの北伐に参加せずわずか数千の兵を送っただけである事、また劉邦が彭城ほうじょうを衝ついた時傍観していたことなどをあげたが、これらの実例は当の黥布が意を決してやったことだけに異いのとなえようもない。
「つまりは、大王の臣従は空命にすぎませぬ」
「・・・・」
黥布の顔が生気をうしなった。
「大王よ」
随何は、声をはげまして言った。
空名の臣従をもって、頼るということだけは楚に頼ろうとなされています。古来、こういう態度をとった者で終わりを全まつとうした例はございませぬ」
「まことか」
「この随何は、儒生でございます」
彼の学派では孔子がそうであったように歴史主義者でり、随何はその点を黥布に対して強調するのである。
「大王は過去の多くの例から見て、機会さえあれば楚に背こうとなされていることは、衆目の見るところでございます」
「世間はそのように見ておるのか」
黥布は、本気で聞いた。
「項王の城下の彭城では子供でさえそう言っております。大王ほどのお人でも、王になればそこまで盲めしいられるものでございますか」
「気づかなかった」
黥布は体がしぼんでゆくようであった。
「大王よ。ご自分の立場やお気持ちを」
と、随何はひざの前の机の上に二つのこぶし・・・を置き、物でも載せるようなしぐさをしてから、
「この机の上に置きましょう。大王ご自身も、他人の事として御自分をご覧あれ。この机の上の大王は、楚に対しいつかは背こうとなさっている。そのくせ背きかねておられる。その理由は何か、楚が強すぎる。・・・理由はそこにある。しかしひるがえって考えれば、強弱は相対的なものでございます。楚が強いということは裏をかえせば漢が弱いと大王が思っておられるからでございます。はたして漢は弱いか」
と言ってから随何はしばらく黙った。 |
2020/05/27 |
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