黥布は身を乗り出すようにして随何の次の言葉を待った。
「漢の防御力は鉄壁でございます」
漢王劉邦は四方に散らばった諸侯を集めて滎陽・成皋せいこうの一線へ引き下がり、この両城を大要塞に仕立て、溝みぞを深くし、塁を高くし、野という野に徼きょう(防柵)をめぐらし、塞さい
という塞に兵士を登らせるなど、防ぎの規模の大きさ、強靭さは、史上空前のものでございます。これを強化するのに、後方に巴蜀はしょく・漢中かんちゅう、関中かんちゅう
の富があり、有り余るほどの兵糧が黄河をつたい、あるいは陸路をたどって滎陽・成皋の兵馬を肥やしております。と随何は言った。さすがに儒の徒だけに言葉の一つ一つが玉をなして唇から転がり落ちるようであった。
「一方、楚はこれを攻めるにしても、首都彭城ほうじょうを発して懸軍万里けんぐんばんりとは申しませぬが、深く敵国に入ること八、九百里」
随何は、楚の補給線が伸び切ってしまう事を言う。
その間に反楚の流賊が出没する梁りょうの地があり、遠く攻囲軍のために彭城から兵糧を運ぶ老弱の者は千里の行列を組まねばなりませぬ。楚軍がたとえ滎陽・成皋を囲んでも、漢が堅く守って城外に出勢しゅっぜいせぬようにすれば、楚としては戦うに戦えず、退けばあとを追われるために、囲みを解くに解けず、しかも補給が乏しくなって兵は餓えます」
随何の言葉の一語ずつが黥布の頭の中の地図に勢力図をえがかせ、言葉がつづくに従って勢力図は影のように変化してゆく。
「四方の諸侯は」
と、随何は、話題を転じた。
「項王をうらむ者が多く、たとえうらまずとも楚が勝てば自分が滅ぼされると惧おそれる者が十に八、九人でございます。漢楚の戦線が膠着こうちゃくすれば彼らは競きそって漢に応援しますから、滎陽・成皋から関中にかけての大要塞に拠よる漢は、決して孤軍ではありませぬ」
(そのとおりだ)
と、黥布は思うようになった。
「大王よ」
随何は言う。
「もし大王が楚に背き、この淮南わいなん(黥布の領地の美称)の兵をあげて項羽にたたきつけるとしても、おそれながら、項王にとってくるぶし・・・・を仔犬に噛まれた程度の痛みでしかありませぬ。それによってあの強大な楚が亡ぶとは、この随何は決して申し上げておりませぬ」
「そのとおり、わしはなお微弱だ」
黥布も、気持ちが素直になっていた。
「漢王も、そこまでは大王のお力に期待されておりませぬ。ただ、大王がいま反楚の旗幟きしを明らかにされれば項羽は斉せいの平定だけに満足し、大軍を滎陽・成皋に向けることを怖れるにちがいありません。それが大王の名を天下に大ならしめる道でありましょう」
と言ったが、この随何の予想はやがてはずれる。項羽は儒生の論理の中に入る男ではなかった。
「項王を斉の地に釘付けすれば天下はおのずから漢のものになります。いま漢王にお味方なされば、かの物吝ものおしみせぬ人は大王に対して必ず大いなる封土ほうどを割さくでしょう」
黥布は、随何の言葉に酔ってしまった。本来なら、しばらく考えてみる、というべきであるのに、
「あなたの言葉に従おう」
と、即答したのである。黥布自身、「私は早く寝る習慣があるので」とひっこんだが、吏僚たちに言いつけ、別室に料理を運ばせ、大いに随何以下をもてなした。随何は少し不安であった。黥布のような男が随何の一場の演説だけで進退を決するだろうか。 |
2020/05/27 |
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