市中に楚の使者がいるということで、この夜、随何たちはこの宮殿に寝室を与えられた。
随何があてがわれた寝室は、一段高い寝台のそばに窓があり。窓外の草むらに虫が啼いていて寝付けないほどにかまびすしかったが、やがてその音ねがやんだ。兵が巡回しはじめたためであった警備にしては人数が多すぎた。
その翌夜は、さらに兵の数が増えた。
(殺す気か)
と、思うと、随何はいったんは成功に安堵あんどし、虞ぐを出発して以来の緊張がとけていただけに、あらためて黥布げいふの性格を思い、骨が鳴るような恐怖をおぼえた。
さrにその翌日からは、日中、庭を歩くことも禁じられ、厠かわやへ行くにも警備兵がついた。
「あきらかに殺すつもりです」
と、随何に泣くように言ったのは、食用犬の顔に似た沈鴻ちんこうという若い随員で、彼もまた儒生であった。番陽はよう湖にちかい廬山ろざんのふもとの出身で、妻を置いて劉邦に従って転戦しているためにまた子をなしていない。弟がいないためにもし彼がここで死ぬと家が絶え祖先を祀まつる者がいなくなる。
「私は死をおそれない。ただ不孝をおそれる」
と言って泣くのである。
随何は乱世のために家をなさず、子どころか妻もいない。
「孝において欠けるといえば、わしのほうこそそうではないか」
と言ったが、沈鴻は泣き止まなかった。やむなく随何は床ゆかをたたいて、あなたは士ではないか、士とは非常の場合に非常の覚悟をする者のことをいうのだ、といった。
「士であるまえに、儒の徒であるべきです。儒の本音は先祖を祀らねばならぬ」
と、沈鴻が言い、思わぬ議論になった。沈鴻の本音は、出来れば脱走して故郷へ逃げ先祖のために妻を抱きた、ということのようであったが、彼が泣きながらも目を瞋いからせているところを見ると、性のこともまた熱烈な儒教の徒の精神の中では先祖への孝養という倫理の中に含まれるもののようであった。 |
2020/05/28 |
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