~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
陳平の毒 (二)
陳平ちんぺいは、葬式のとりしきりがうまかった。
この大陸では儒教の普及以前から驚くほどの手厚さで葬式が重んじられた。葬式は、里人りじんたちに事務能力と運営、あるいは人と人との関係の調整、さらには統御の能力を要求したが、このことをうまく仕切ってゆく者が、一郷から立てられた。かつて項梁こうりょうが葬式を統御してその配下の諸将をきめて行ったことや、劉邦りゅうほうの将の周勃しゅうぼつが葬式屋の出であることなどを思えば、このかん機微きびを多少は嗅ぐことが出来る。
「陳平に孫をやろう」
と、この里で第一等の金持ちである張負ちょうふという老人が言い出したのも、陳平の葬式の取り仕切りの旨さを見ての事であった。
一族のたれもが反対した。ふだつきの貧家の次男坊に娘をれてやる家などはなかったし、そのために陳平は二十をすぎても独り身でいた。
張負老人は一族の反対者を陳家の前に連れて行った。陳家の門はとびらがなくむしろ・・・を垂らしただけであったが、門前の泥の道にはかつて訪ねて来た貴人たちの車のわだち・・・が彫り物のように幾すじも路面をくぼませていた。
「これを見ろ。あばらやながら陳平が居ればこそ貴人が訪ねて来る。ああいう美丈夫でいつまでも貧賤ひんせんでいたというためしがかつてあったか」
と老人が言ったのは、人の価値をその押し出しのよさでみるこの時代の通癖つうへきと無縁ではない。
「それほど見込まれるならば」
と、娘の父の帳仲ちょうちゅうも折れた。陳平は見込まれたわけであったが、半面、軽んじられたともいえる。
この張負老人の孫娘というのは五度嫁に入って五度不縁になった女で、魯鈍ろどんであるうえに陽ざらしの野菜のように皮膚がしぼんでいた。
陳平がこの縁談を二つ返事でけたのは、張家の婿むこになれるということに魅力を感じたからであった。
この嫁をめとったおかげで、における陳平の地位が重くなった。この秋、里の中のもりにあるやしろで祭礼が行われた時、選ばれて陳平が宰領さいりょうになったほどであった。宰という語源は『白虎通びゃっこつう』に「たち切るなり」とある。里人たちが寄進した肉を、祭礼の後包丁ほうちょうをもって切り分ける職を言い、公平を要求された。遊牧民族の場合、宰は日常、家父長が威厳と平等の精神をもってとり行うのだが、漢民族の里の習俗の中に古くからこのことがあるのは、この大陸の民族の中に遊牧民族の習慣が色濃く投影していることを思わせる。
ともかくも陳平はみごとに宰をやってのけた。里人がひとりひとり陳平のまないたのそそば行ってめたが、陳平は喜ばなかった。
── 自分に天下の肉を与えよ。このようにみごとに切り盛りしてやるのに。
と言う。
2020/05/31
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