范増は七十歳を越えている。若い頃は多弁だったと言われているが、今は必要なこと以外は言葉を吝んだ。たとえば陳平がある時、るる・・としてなにかを建策したときも、瞼まぶたをなかな閉じ、眠っているような無感動な顔で聞いた。ときに聴きおわると、「それだけか」と瞼をあげた。
あるとき陳平はたまりかねて、
「私を才子であるとお思いですか」
と反問したことがある。才子とはむろん悪い意味として使った。范増はツト眉をすくめ、目もとだけで笑い、何も言わない。
── そのとおり。お前は才子だ。
ということであったろう。
(范増は、おれを誤解している)
陳平は范増のぶんまで勝手に思い、自作自演して自分自身を苦しめた。機略だけを曲芸のようにもてあそび、性根しょうねといえば浮薄で実じつがなく、人間として信頼できる部分が少ない、よいうふうに范増が自分を見ているように陳平には思われた。むろん陳平自身、そういうにおいが多少は自分にあるように思っていたが、しかし彼自身にはそのことの説明がついていた。彼は自分の才能を表現する場が無いことでもあせっており、そのあせりが范増に軽忽けいこつ
な印象をあたえていると ── 勝手に想像し、自問自答して ── 私ひそかに弁解しているのである。利口すぎる男であった。
利口すぎるといえば、陳平は項羽の代理で殷へ行って反乱を討伐した時、じつは軍事行動はあまりやらず、反乱側と取引し、独断で彼らの命を助けて逃がしてしまい、表向きは武力鎮圧をしたということで項羽に報告した。
ところが。殷が再び背いた。
情報では、陳平に殺されたはずの巨魁きょかいどもがもとどおり殷の地を抑え、反楚勢力と連携れんけいしているという。
「陳平というのは主しゅを誑たぶらかすやつですよ」
と、范増が項羽に言ったとか言わぬとかという噂があり、項羽が激怒しているっという。陳平はとっさに脱走を決意した。
逃げわざ・・の早さはこの男の特技のようになっていたが、つねに本意ではなかった。
その証拠に、陣営を清め、項羽から拝領した都尉の印綬いんじゅと、彼から貰ったすべての金品を箱に封じ、使者をやって返納させた。
陳平は、故郷の戸牖こゆうの少年六人を連れて脱出し、黄河こうがの岸で舟を雇った。
舟が河心かしんに出た時、船頭は陳平の身なり・・のよさを見て敗軍の将がどこかへ落ちて行くものと見、水夫かこたちと示し合わせ、殺して金品を奪おうとした。
陳平は危険を察した。素早く衣服をみずから剥はぎ、ことごとく脱いで、
「見ろ」
と、みごとな裸形らぎょうを船頭に見せた。何も身につけていないことを知って船頭は落胆し、彼らを対岸の葦辺あしべの中に放り出すと、未練もなく漕こぎ去った。
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2020/06/02 |
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