~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
陳平の毒 (六)
この時期、劉邦の心境に落魄らくはくの思いがあり。とくに項羽のために彭城ほうじょうで大敗して沼沢の間をって逃れていた時、
(結局は、わしに配下はろくでなしぞろいなのだ)
ということが身にみてわかった。いまかん軍の再建途上にあるとはいえ、はたしてあの項羽に勝てるかという事を思うと、とうてい自信がなかった。劉邦の特徴は平然と自分自身を値踏みできる男であったことだろう。彼自身、値踏んだその値段はひどく安く、一個の項羽の半分の値打もなかった。それを補うのが配下の将軍たちというものであったが、劉邦の大ざっぱな寄せ集めがたたったのか、張良ちょうりょう韓信かんしんをのぞくと多くは項羽麾下きかの将軍たちより劣るように思われた。
(たれか、いないか)
とあせっていたやさきに、陳平が飛び込んで来たのである。
むろん陳平の価値はわからない。ただ、昇る陽があかあかと照りえているようなその容貌と、数万の兵の将帥としてふさわしいその押し出しという要素だけで高く買った。次いであれだけ吝嗇な項羽がこの男を都尉にした以上はよほど戦える男にちがいないとも見た。
あとは、劉邦の諸将たちがこの新参の陳平を仲間として迎えるかということである。
(嫉妬しっとするのではないか)
と思ったが、劉邦は翌日から陳平を自分の車に陪乗ばいじょうさせた。破格の寵遇ちょうぐうというべきもので、陳平の名と顔はたちまち全軍に知れわたった。
このことは陳平を売り出すためにはよかった。しかし古い将領たちにとってはこれほど不愉快のことはなかった。
「たかが楚の逃亡兵ではないか」
劉邦は、黙殺した。
今度は陳平を軍の実務につけようとした。
劉邦軍には、かつてのかんの旧貴族の出である張良の旧主がいある。韓王のしん(韓信とは別人)という。
彼は主として亡韓の地の出身兵を率いていたが、劉邦は陳平をこの韓軍の副将とし、韓王信を補佐させることにした。
この時期、劉邦は黄河沿いの地に移り、項羽と決戦用の一大拠点である滎陽けいよう城に入った。
韓王の軍は、滎陽城のそとの守りとして広武こうぶ(河南省)に布陣し、戦いとその地区の行政にあたっていた。実権は陳平に集中していたが、この大権をさいわいとしてしきりに賄賂わいろをとっているという噂が滎陽城に聞こえて来た。配下の将軍たちが陳平に金品を贈るといい地位につくことができ、贈らない者は陽の目を見ていない、という。韓軍のなかで陳平への非難が高まり、
「なんといってもあいつはあによめとうしたような男だ」
という、もともと郷里のそとがこいから出なかったうわさが、にわかに韓軍の陣中で広まったのもこの時である。
陳平はかつてしゅを二度変えている。魏咎、項羽といったように、旧主に後足で砂をかけて恩を仇で返してきた。そういう男は、人間として信頼が出来ない」
というふうな見方ができあがり、旧悪・・で練りかためたような陳平像が、人々の口から耳へと伝えられた。
2020/06/03
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