この陳平像は滎陽けいよう城にも伝わった。漢軍の古い諸将は合議し、最古参の周勃しゅうぼつと灌嬰かんえいを代表として陳平を追放すべく劉邦に訴えさせた。
周勃は能弁化ではない。
灌嬰は睢陽すいよう(河南省商邱しょうきゅう県)の人で、劉邦の沛公はいこう時代に中涓ちゅうけんになり、途中で武官に転じて漢軍の中では腕達者の将軍の一人として評価された。彼は若い頃絹きぬを売って渡世していたから説得力に富んだ舌を持っている。
「なるほど陳平は美丈夫でございます。しかし陛下のとっての価値は冠かんむりの飾り玉のようなもので装飾にすぎません」
と、その風采だけで寵用する愚をまず指摘し、次いで陳平の人身攻撃にうつった。嫂との一件、主人を二度変えていまは三度目であること、さらには韓軍の副将として賄賂を取り、その多寡たかによって将軍たちの地位を上下させていることなどを述べ、最後に、
「反覆はんぷくつねない乱臣とはかの者のことを言うのでございましょう」
とまで言った。致命的な讒謗ざんぼうといえる。
劉邦は、茫然とした。
(そういう男であったのか)
と思ったのは、陳平を寵用しつつもあの際立った賢さがどこか劉邦にとって不安で、人間の安定した精神からこういう利口さが出てくるはずがないとも思いつづけてきたからである。さらに他の者から言われれば劉邦の動揺は少なかったろうが、彼は周勃の朴訥ぼくとつ、灌嬰の練達した文武の能力に信をおいていたため、この両人から言われた以上、ついその気になった。
すぐに紹介者の魏無知ぎむちを呼び、右の両人の言葉を引きうつしにして責めた。
魏無知はおどろき、しばらくうなだれて考えていたが、やがて、
「陛下はいま尾生びせいや孝己こうき(どちらも古人)がいればお召し出しになりますか」
と、言った。尾生は約束を守って水死してしまった人であり、孝己は殷いんの高宗こうそうの子で孝子といわれた人である。
劉邦は沈黙している。魏無知としては陳平を救わねばならい。懸命に知恵を絞り、がらにみない弁をふるった。平素が平素だけに、劉邦には大雄弁に聞こえた。
「尾生の信、孝己の孝は、いま陛下の浮沈の瀬戸際にあたって何の益するところもありません。陛下の窮状を救うのに、尋常の智、尋常の勇ではどうにもなりません。奇正きせい応変の才のある者として陳平を推したのでございます」
(もっともだ)
劉邦のよさは天秤てんびんに似ているところであったろう。周勃・灌嬰のことばにひとたび傾いていたのが、この魏無知の一言でもとの平衡へいこう
平衡へいこうに戻ってしまった。
が、ひとたび古参の臣から告発が出ている以上、陳平その人を召喚しょうかんして問責せねばならない。劉邦は陳平に急使を送った。 |
2020/06/04 |
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