春がしだいに闌けてゆき、山野の緑が濃くなった。
楚そ軍の攻撃は相変わらずはげしく、漢かん軍の餓えはいよいよ深刻であった。span>陳平ちんぺいがあれほど情熱的にやった反間苦肉はんもんくにくの策も、目だった効果は出て来なかった。ただ陳平が得ている情報では、項羽が鐘離昧ら前線の諸将を疑い、人を出してはその真相を探っているらしいということのみであった。
(あの毒は投与してから時間がかかるのだ。即効がないのが欠点だったかも知れない)
そのうち滎陽けいよう城のほうが陥ちてしまうのではないか、と陳平もひそかに心もとなくなっている。
が、ひとつの微候が出た。
項羽が、
「使者を送る」
といって城の中へ矢文やぶみを入れて来たのである。漢軍のほうも、承知した、という旨むねの矢文を送った。
陳平は、あるいはこのことは、項羽が楚軍に毒がまわった症候のひとつではあるまいかっと、彼一個の胸の内だけながら期待した。
あるいは筍たけのこを食った後の吹出物ふきでものていどの症候かも知れなかったが、この陳平の予感は当たっていた。
項羽は、たしかに諸将を疑いはじめた。
── 劉邦に使者を出す。
といっても、いまのところ急いで平和を拒絶する使者を出さねばならぬほどに理由はない。また城内を偵察するといっても火急のことではない。急に使者派遣を思い立ったのは自分の諸将が内通していれば漢将たちの様子で分かるのではないかと思案したのである。
項羽は、陳平のいうとおり血族といえばわけもなく信用した。この時の使者も正副とも血族を選んだ。随員はむろん他姓の者である。この大陸の社会はたしかに家族主義の原理で出来上がっているが、おなじ家族主義でも楚人の場合はどこか質がちがっていた。楚人は血族内部でひとを裏切るということがあまりなかったように思われる。
「こういう噂があるが、聞いているか」
と、項羽は正副の使者に質問した。両人ともその噂は聞いていた。
「口さがない兵どのの取り沙汰にて私などは信じておりませぬが、耳にはしております」
「わしも信じてはいない」
項羽はうなずき、
「しかし、そのことも含めて観察せよ」
と言ったことが、彼の不幸を呼ぶことになった。この血縁の二人の使者にとっては、楚軍を支えて来た范増、鐘離昧といった、陳平の言う廉節れんせつの人々も、所詮は他人なのである。血族内部の結束感覚でいえばつまりは他人は油断がならないという先入主があった。この場合、事の性質が性質だけに、その先入主のほうが前に出た。
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2020/06/07 |
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