滎陽城の城壁の北に黄河がめぐっている。
城壁を積みあげているれんが・・・はではなく、固く焼きしめられているため、近くから見ればねずみ色に見える。晴れた夕方など、遠目でのぞむと、煙ったような紫色に見えた。
壁も、厚い。
城頭に立ち、目をつぶって伝い歩いても落ちることがないといわれた。
城内の街まちの規模も小さくなく、漢かんの籠城ろうじょう軍を入れても宿舎に困ることはなかった。
(申し分のない城だが、長くはないな)
籠城の主である劉邦りゅうほうは、最初から人ごとのように思っていた。
この男の性格として籠城戦に適あわず、つねに窮鼠きゅうそのような状態から抜け出すことばかりを考えている。
なにぶん、攻囲軍の項羽こううとその兵が強すぎた。それに滎陽城は籠城のための城としては、弱点が明らかでありすぎる。城内の十万ちかい軍民を養っている食糧の補給管は、黄河の岸の敖倉ごうそうにつながっている甬道ようどう(両側に壁をそびえさせた軍用連絡道路)一つで、これを破壊されれば城内は餓うえてしまう。攻防一ヶ年というものは、主としてこの長大な甬道をめぐって行われた。漢の出撃部隊は、甬道の死守、敗滅、奪還を繰り返すうち、力が尽きはじめた。野に春の花が咲くころんあると、花よりもあざやかな楚そ軍の旗が、甬道のあらゆる部分に林立するようになった。
劉邦は、毎朝、日課として車に乗る。滎陽の街路をゆききした。
まことに素朴な統御法であったが、
「おれはこのように元気だ」
ということを、兵や民に見せるためなのである。
劉邦の車には、天蓋てんがいが黄色の絹で張られている。横木に身をもたれさせている大男の黒い大ひげさえ見ればそれが劉邦であるということがたれにでもわかった。
餓えが、城を半ば死んだようなものにしている。
城壁にいる兵だけが、防戦のために戦っている。
町にいる兵は屋内や路傍でうずくまっていて、市民はほとんど屋内から出ようとはしない。籠城のはじめのころは糞尿ふんにょうが路傍を流れて臭気がはなはだしかったが、近頃の糞はにおいが薄くなった。
屍臭ししゅうのほうがひどかった。餓死者が出ても郊外へ運ぶことが出来ず、空地に土芥どかいのように積み上げられている。冬の間は屍体が凍ってさほどでもなかったが、春が来てからは腐乱して皮も肉も溶け始めていた。
(屍しかばねが積まれている間はまだましだ)
と劉邦は思った。やがて生者があらたな死者を食いはじめるようになる。それがさらに進むと、子を交換し合って食うようになる。 |
2020/06/09 |
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