劉邦の食事も、めだって貧しくなった。
「腹が減ると女が欲しくなるのはどういうわけか」
と、この男は大まじめで傍らの学者に聞くことがあった。
この学者は言った。
「江南に多い樟くすのきは、老いて樹勢がおとろえるとさかんに花をつけ、黒い実をみのらせます。次代を残さねばならぬからです」
この説によると、劉邦の肉体はひとつには齢としであり、ひとつには栄養の補給を失っているため、次代を残すべく天命によって好色になっているのかも知れない。
「もっともだ」
劉邦はこんなことに諧謔かいぎゃくを感ずるたちの男であった。
この男は、このように惨烈な状況になってもその閨室けいしつに婦人を絶やしたことがない。ただ婦人を愛していても、すぐ執務にきりかえた。婦人にかまけて配下の者に会う事を避けるなどというほどの執拗さはなかった。といって自律的とか仕事好きとかいったことではなく、要するに飯を食うように婦人を愛し、満腹すれば飯椀めしわんを置くというだけのことであった。
城内に、いろんな人間がいる。
価値観も、さまざまであった。
たとえば、
「陛下あいつはまちがっている」
と、劉邦を攻撃している男もいた。
紀信きしんという男である。
「そんな男がいたかな」
劉邦は紀信が悪口を言っているという話を耳にした時、名も忘れていたし、顔も思い出せなかった。兵十五人ほどの指揮をしている下士で、沛はいの人間だという。
「沛の紀信か」
「お思い出しになりましたか」
紀信についての密告者が勢いこんだ。
「いや、思い出せんわい」
劉邦は薄っすらと記憶がある。幼友達でいまは将軍になっている蘆綰ろわんが、かつて沛の若者を三十人ばかり推挙してきた中にその紀信という名の男が混じっていたような気がする。
「大男か」
「いたって小男でございます」
かつて蘆綰が沛の者達を推挙した時、何といっても信頼できるのは郷党の者でございます、としたり・・・顔で言ったが、劉邦はそうは思わなかった。彼にとって沛の町の者はまだいい。その郊外である郷里の豊邑ほうゆうの連中ときたら劉邦をごろつき程度にしか評価しておらず、挙兵後、一度も助けてくれなかったばかりか、雍歯ようしという男を奉じて劉邦に背いたこともある。
── なにが郷党がいいものか。
というのは劉邦の吉ぐせであり、この男の風変りな点でもあった。この広大すぎる大陸は、人間関係にあっては郷党の連合社会といってよく、同郷なら無条件で信頼し、また信頼されるほうもふつう裏切ることがない。蘆綰はそういう常識をふまえて言ったのだが、劉邦は斟酌しんしゃくしなかった。彼は項羽と違って自分の血縁を重用せず、また他人をその生まれ故郷によって軽重するということをしなかったため、天下の士が玉石とともに ── 玉は少ないながら ── この男のもとに安んじて集まって来たにちがいない。
蘆綰が推挙した沛の子弟は、蘆綰のはからいで最初から下級将校になり、流民たちを指揮した。流民たちも戦火をくぐって来てみな強したたかな兵卒になっており、たとえ十人、二十人でもなまなかな人間では統率できないものなのだが、長が沛の人間である場合、兵たちは劉邦との間に往来があるはずだと思い込み、つい無理な命令でもこくところがあった。
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2020/0609 |
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