劉邦は、城内の持場々々を見まわったことがない。そのことは将軍たちのなすべきことであり、大王みずからがそれをやると、将軍たちの士卒に対する恩威を横盗よこどりすることになるからである。それに、この大陸での権威感覚がそれを許さなかった。王みずからが手足を汚して諸陣をまわると、あの王の器量はその程度のものかとかえって士卒がみくびるようになるのである。
が、劉邦も長い籠城で、気がおかしくなっていたのかも知れない。ある夜、馭者ぎょしゃの夏侯嬰かこうえいひとりを連れて、城壁から城壁へとつたい歩いた。
誰何すいかされると、
「大王におわすぞ」
と、夏侯嬰が言う。
ある方角の城楼にのぼり、やがて下の障壁上に降りるべく露天の階きざはしを一歩ずつさがっていたとき、暗くもあって、足を踏み外した。数段ころげ落ちてぶざまに四つン這いになったとき、
「女と狂たわれてばかりいるから、そうなるのだ」
という声がした。
「え?」
劉邦は、ときにそうなのだが、いい齢をして童子のようになってしまう。
「そんなに俺は狂たわれているか」
怒りもせず、相手を詮索もせず、大きな虚空こくうのようになって、劉邦は言った。
「満城、餓えている」
と、この男は言う。よく見ると、その男は五、六尺むこうの旗竿はたざおの根もとでうずくまっているのである。頭上の望楼から突き出した篝火かがりびの火明りで、戎装じゅうそうしていることがわかった。
「わしは漢王だぞ」
劉邦が念のために言うと、相手は、わかっている、と言った。馭者の夏侯嬰が近づいて松明たいまつを突きつけた。小男だった。
「お前、越えつ人か」
劉邦は聞いた。呉ご越には矮小わいしょうな者が多い。
「ちがう。言葉のなまりを聴けばわかるだろう」
と言って立ち上がった。
「なるほど、沛はいの町の者だな」
劉邦はおどろいた。
「ちがう、豊邑ほうゆうの者だ」
と言って暗がりへ消えてしまった。豊邑はいうまでもなく劉邦の故郷そもものである。まさか小字こあざの中陽里ちゅうようりではあるまい。中陽里なら劉邦も顔の見当がつくのである。
翌朝、劉邦は幼友達の蘆綰ろわんを呼んだ。
「昨夜、紀信きしんに会ったよ」
と、当てずっぽうながら、言った。沛付近出身の兵で、城内でしきりに劉邦の悪口を言っている者といえば紀信しかあるまい。
「豊邑の者だ、よ言っておった。あのへんの奴らは俺という人間を好まぬらしい。君は別だが」
「故郷にあっては陛下もごろつきか盗賊という印象しかございませんでしたからな。陛下のおかげで私も評判が悪うございました」
蘆綰もずけずけ言う。
「今も悪かろう」
劉邦は遠くを見るような目をした。故郷の野や川がなつかしかった。
「左様」
蘆綰は言った。
「一時はさんざんのようでございましたな。雍歯ようしや王陵おうりょうが陛下のことをずいぶん悪く言いましたからな」
「雍歯か」
劉邦は隣家の犬でもからかうような笑顔になった。
「あいつにすればやむを得なかったろう」
雍歯は昔のごろゆき仲間で、劉邦ぎらいで通った男であった。挙兵早々、豊邑を雍歯にまかせたところ、この劉邦ぎらいは陳勝ちんしょうの配下の周市しゅうしという男に通じてしまい、豊邑を周市に献じて劉邦を裏切った。雍歯は豊邑を結束させるために劉邦の悪口をさんざん言ったらしく、豊邑では劉邦といえば馬鹿で無節操で臆病者の小悪党という評判が土埃にまで滲しみとおっている。王陵もまたかつては郷党の顔役であった。劉邦が食い詰めていたころ、飯を食わせてもらったり、かくまってもらったりしたのが王陵で、郷党のごろつきとしては一格も二格も上であった。王陵は劉邦が挙兵して時、
── あの身の程知らずが。
と、驚き、笑止がり、子分どもや縄張なわばりの農村に対し、あいつの手に付くな、と繰り返し命じた。
その後、劉邦の勢力がみるみる成長したことに、王陵ほど当惑した者もなかった。といって乱世にあっては大勢力に属さざるを得ず、他に属して劉邦を敬遠し続けた。しかしやがてその傘下さんかに入った。
雍歯も入った。劉邦は滑稽なほどに器量の茫漠ぼうばくとした男で、雍歯にすらその憎しみを露あらわにしなかった。天下が定まってからまっさきに雍歯の功にむくい、什方じゅうほう侯に封じたのは多分に統御上の政略があったとはいえ、忍ぶという能力が劉邦の一特徴であったことがわかる。王陵にいたってはさらに優遇され、漢かんの柱石ちゅうせきになり、二世皇帝の恵けい帝の時に右丞相うじょうしょうになった。
以下のことも後年の話だが、劉邦は豊邑の人々だけは許さなかった。彼の寛容さと矛盾しているが、元来、執拗な性格をあわせ持ち、恨みを蔵すれば胆たんの中の石のように溶けることがない。後に沛を懐かしんで、沛の父老ふろうに対し、
「万年、わが身が土に帰しても魂魄こんぱくは沛を懐かしむだろう。沛は永世に賦役ふえきを免ずる」
と言ったが、肝心の生まれ故郷の豊邑については無視した。
── 豊邑にも、沛とおなじく特別の思召おぼしめしを賜りますように。
と、沛の父老が懇願した時、劉邦は言った。人間、たれか故郷を思わぬ者があろう、わしにとって沛以上に豊邑は懐かしい、しかしその愛は憎しみに変わっている、と言って取り合わなかった。ただし沛の老父の再三の懇願で、後に豊邑にも沛と同様特典を与えはしたが。
「紀信というあのちび・・公は、なぜ王陵おうりょうや雍歯ようしの配下ではないのか」
と、蘆綰に問うた。
元来、沛や沛付近の子弟は、王陵かさもなくば雍歯が募兵し、自然みなその配下になって漢軍に参加しているのである。
「紀信はたれの配下だ」
「たしか灌嬰かんえいでござったかな」
灌嬰は絹商人あがりで、甬道ようどう防ぎのために楚そ軍と果敢に戦ってきた男である。が、沛の男ではない。
「なぜ他郷の灌嬰の配下になったのか、調べてみてくれ」
と、蘆綰に頼んだ。
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2020/06/10 |
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