紀信の父は病んでいた。やがて死んだ時、周苛は穴を掘った。穴のふちで紀信が顔中泥まみれになって哭いた。棺を埋めた後もこの男は塚を去らず、苫こもを寝床にし、周苛が組んでやった粗末な屋根の下で雨露をしのいだ。髪をくしけらず、手足を洗わず、顔はたちまち
垢あかだらけになった。
毎日、塚の上に顔を埋めるようにして哭いた。その孝心のあつさは、里の中で評判になった。その評判が当の紀信の耳に入った時、顔色を変えて怒った。
「世間というのはつねに間違っている。俺のようにくだらぬ人間に孝心などあるか」
と、周苛をつかまえて、噂うわさを立てる某々をののしった。
「孝心ではないのか」
周苛は、やっかいな男だ、と思った。
「苛、おれの面つらを見ろ」
紀信は自分の右頬みぎほおをはげしくたたき、こいつを見ろ、こいつがおとなしくこの里の中で百姓をして生涯を送るやつかどうか、一国一天下どころか、一郷もほしくはないが、せめてこの紀信が何者であるかを世間のやつらの前に現あらわしてみたい、そういう嫌いやらしいやつだ、そんなやつが孝心篤あついなどとなにを血迷って世間の奴らは言う、この面だ、みろ、と狂ったようにひっぱたきはじめた。
(狂ったか)
さすがの周苛も、おろおろしてしまった。紀信は、かたわらの石をつかんで持ちあげた。差し上げて、自分の頭へ落し、さらに差し上げて自分の頭蓋を割ろうとした。血が噴ふき出、ひたいから頬にかけて越えつ人のくまどり・・・・のように赤く染めた。周苛はようやく石を奪い取ったが、捨てておけば紀信は脳漿のうしょうを流して死んだかも知れない。
紀信は、さらに哭いた。哭きながら、
「おれは病父のおかげで、この里りに張り付いていたのだ。もし病父が居なければ俺のような男は兵になっていただろう。兵になって、つまらぬ流れ矢に当たって死んだろう。もはや病父は在いまさず、俺をとどめていた力がなくなった。それが悲しかったのだ。哭いたのはそれがゆえだ」
と、言った。
やがて周苛と紀信は劉邦の軍に参ずべく豊邑を出た。
ちょうど劉邦が彭城ほうじょう(今の徐州)で大敗して沼沢しょうたくをさまよっている時で、そういう敗将を見つけることはなんとも困難だった。餓えて諸方を流浪するうち、劉邦が滎陽けいよう城に籠ったという事を聞き、籠城に参加したのである。
たれが見ても旗色の悪い側に従軍するなど、愚かといえばそうに違いなかった。その上、同郷の王陵や雍歯の手につけば優遇して貰えたであろうが、それらをきらって灌嬰かんえいについた。灌嬰の軍は甬道ようどうを守る実戦部隊であるため、毎日のように矢の雨の中で飛びまわった。交換の時だけ滎陽の本城へ帰り、望楼で寝るのである。その夜、劉邦が出くわしたのは、紀信が毎日、前線から戻って休養していた時であった。 |
2020/06/12 |
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