~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
背 水 の 陣 (一)
韓信かんしんは、転戦している。
彼は間の じょう将軍とはいえ、 劉のそばに居るわけではない。
常に別働軍の将であった。当然ながら劉邦には彼自身に戦局がある。これに対し韓信はそれと同心円の戦局の中に身を置きつつ、劉邦の円よりもずっと外側で円を描き、転々と戦場を動きながら勢力を増大していた。戦えば必ず勝った。
「異彩だ」
人々は言った。弱い漢軍の中で、例外的な光を放っているのは韓信とその軍だったからである。
── 韓信あれは自立するのではないか。
と、劉邦側近の人々は、口にこそ出さなかったが、かすかに警戒の目をもってながめていた。
酈生れきせい」と半ば敬せられ、半ば軽んじられている儒者の 酈食其れきいき老人も、その一人だったと言っていい。人の姓や名にせいをつけて呼ぶのは、後世、書生の生になるが、この時代は先生というに近い。
酈生は、韓信が好きであった。
「木で鼻をくくったようなあの のっぽ・・・めが」
と酈生が言う時は、愛情を込めていた。あいつの目は悪くない、何を考えているのか知らないが、と言う。
たしかに韓信は目だけは子供っぽかった。長身で、頬はまだ果物のようなつややかさを失っていない。ただ手入れをおこたった黒いひげがごみ・・のように顔の下半分に散らかっていて、放心すると垂れたひげ・・を唇の端でんでいたえりする。そのあたり(江蘇省)城下の浮浪者の感じが抜けきっていない。
「お前さんは、とても儒者にはなれないね」
酈生がからかったことがある。
「その目だけでだめだよ」
酈生の言うには、儒者は大人びて深沈とした目を持っていなければならない、つねに自分の容儀に細かく注意を払い、人の前に出る時には威を内に秘めつつその外貌は温雅、その態度は恭倹、なかなかむずかしいものだ、という。
むろん、韓信は淮陰の貧士だった頃から、一度も儒者になりたいなどとは思わなかった。儒者など、葬式、墓参のたぐいの儀礼をことごとく言うだけの存在で、葬式屋の顧問のようなものではないかと思っている。
「酈老」
と、韓信はこの老人を呼んでいた。
「たれも儒者にしてくれと頼んではいませんよ」
韓信もこの老人が好きであった。
「大きなまちがいだ」
少し儒教を教わる方がいい、と酈生は言った。
「たとえばお前さんには、基準というものがないよ」
「何の規準です」
「人としての生き方の規準、物の考え方、あるいは行動の仕方についての基準だ」
「規準はないほうがいいんです」
韓信は、はえを追うように言った。
酈生は、教えようとしている。
「規準を学問という。規準のない人間は、人から信用されない。美でもない。美でなかれば人から敬愛されない」
敬愛とは、具体的には、王である人や上長や同僚から好もしく思われるということであろう。
「敬愛されるということは、要するに無害な人間として愛玩されるおということではありませんか。お言葉を返すようですが、私のこころざしとちがいます」
「どういう志だ」
「それがわかれば、世話はない」
韓信は、笑うと、子供のような顔になった。
200/06/13
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