~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
背 水 の 陣 (二)
右の対話は、韓信がなにかのことで劉邦に拝謁はいえつすべく前線からやって来た時の情景である。
場所はかつて県庁の庁舎であった建物の前庭で、大きなえんじゅが葉をしげらせていた。酈生はその木陰こかげに入り、石に腰をおろしていた。立っている韓信は背に熱い陽ざしをうけて、酈生のために蔭をつくってやっている。長剣をつえがわりに突き、体の重みを半ば託していた。
「汚い剣だな」
酈生れきせいはからかった。
「しかも長すぎる」
たしかに韓信の剣は異様に長い。それに欛頭つかがしらの塗がげ、青銅の飾りの小さな怪獣が摩耗まもうし、さやは傷だらけになっていた。
「私にとって、大切な剣です」
彼が淮陰わいいん城下で、洗濯婆から食うのを恵まれながらほっつき歩いていたころからの剣であることは酈生も知っていた。
韓信が漢の上将軍になってからもなおその頃の腰の物を離さないというのは、この男の感傷なのかどうか。
「要するにその剣も、あんたの自己愛の表れにすぎないんじゃないか」
酈生は、韓信というつかみどころのない男の精神を、袋の中の物でも探すように手探っている。
「私に自己愛などありませんよ」
「ではその剣はなんのしるし・・・だ」
「淮陰の頃の自分の気分かな。志といえばそうともいえます」
「幼いことを言うわい。・・・しかしお前さんのは」
志じゃないよ、と酈生は言いかけて遠慮した。酈生は当節、士の志というべきものは天下の蒼生そうせいを戦乱から救い、これに食を与え、しかる後に儒教という人間が人間であるための規律を与えることだ、と思っている。それには天下をおこすに足る人を立て ─ 劉邦のことだが ─ これをたすけ、これに天下を取らしめることが先決だと考えているのだが、韓信の場合はどうであろう。
(こいつの正体はなんだ)
酈生は、考えた。この時代、乱世に身を投じた士卒のたれもが富貴を望んだ。しかし韓信は変わり者で、富貴を望まないに似ている。というより富貴とは何かが天性よくわからないのではないか。少なくともそういう感覚に欠けているところがあり、たとえば一面、この男には貧窮のほうが似合っており、たとえ貧窮のまま生涯を送っても、他人の富貴をそねむところは全くないのではないか。
(この男の本質は、つまり才能ということか)
酈生は思った。才能だけが独立し、目も鼻も理性も抑制力も持たずにまるい物体として谷を越え、山を駆け登り、そこまでも転がって行く何かではないか。
(せめて、忠誠心でもあれば)
酈生は思っている。
俠客きょうかくあがりの諸将の多くは儒徒ではなかったが、忠誠心だけは持っていた。彼らはむしろそれを売り物にして劉邦と強く結びつき、ちょうが花にくちばしをのばして蜜を吸うように劉邦から利益を吸いあげようとしていた。
劉邦は、そういうエネルギーの上に浮上している。かつて劉邦は、
── お前たちはいい男だが、何の頼りにもならない。
と、左右をかえりみて言ったことがある。彭城ほうじょう(徐州)の大敗戦後、沼沢にさ迷っていた時のことで、配下たちの頼りなさに劉邦自信、頭を抱え込んだ時期のことである。配下から言えば、無能であるために忠誠心だけで劉邦にぶらさがっていた。
韓信は、そのたぐいの男ではなかった。それだけに劉邦の忠誠な側近団に油断のならぬ男と見られている。酈生も時にそう思わぬでもない。
200/06/13
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