~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
背 水 の 陣 (五)
韓信が、常に主要戦局の圏外にいたことは、すでに触れた。
この男が求めてそうなったからではなく、劉邦が命じたからであった。話は、少し前後する。
さきにまだ魏王ぎおうひょうという食わせ者の旧貴族が元気だったころのことである。豹はいくさに弱い劉邦に見切りをつけ、項羽と結ぼうと思い、母親を看病したい、と言って籠城中の滎陽けいようを去った。河北かほく(黄河の北)へ戻って、すぐさま河関かかん(黄河の渡し場)の交通を断ち切り、漢軍に敵対した。
この時も、劉邦は閉口してしまった。酈生れきせいを派遣して大いに説かせたが、豹の気持を変えることが出来ず、酈生は頬の肉を落ちくぼませて戻って来た。
「先生をもってしてもだめか」
武を用いるしかなかった。ただでさえ兵数が足りない時であった。
ともかく人数をさきき、別働軍を組織した。この独立軍を指揮する能力を持つ者は、韓信しか」いなかった。劉邦は韓信をじょう将軍から左丞相さじょうしょうに昇格させ、河北へかせた。
── 大丈夫だろうか。
と、韓信に大きな独立軍を与えることを危ぶむ側近もいた。

ついでながら、韓信が、この魏王豹を退治した作戦というのは独創的というほかなかった。
魏王豹は蒲坂ほはん(山西省)に兵力を大集中し、韓信を待った。蒲坂城の南方に河が流れている。豹はこれを警戒し、この河に水軍その他の防御を重厚にほどこした。にこれに対し、韓信は対岸の臨晋りんしん(陝西せんせい省)にあっておびただしく舟をうかべ、今にも渡河とかして蒲坂城を気勢を示したが、その実、その兵力をこそり別方面から渡河させてしまった。豹は、舟にとらわれていた。が、韓信は舟を用いなかった。木罌缻もくおうふという、木製のかめ(この時代、どの農家でも使われていた)を用いたのである。この瓶をおびただしく買い集め、なわ・・でつなぎ合せて、その上に板を乗せ、兵馬を乗せて渡河させた。この隠密渡河軍は、蒲坂城など黙殺し、長躯、魏の首都である安邑あんゆう(山西省)いた。
魏王豹は首都を奪われておどろき、蒲坂城をけ出て韓信を追った。魏軍は野戦軍になった。韓信は野戦が得意であった。これを大いに破り、魏王豹をとりこ・・・にした。
「殺さなかったか」
と、この報を聞いた時、酈生れきせいは自分のことのように喜んだ。
「魏王をお殺しになってはいけませぬよ」
酈生は劉邦に言った。画工が絵を描き、鋳工ちゅこうが銅器をつくるように、韓信の武は芸のようなものだ、その作品が生きている豹でございます、と老酈生は言うのである。

韓信は、かつて豹がいた魏の国の平定に時間をかけた。
余談だが、魏の地は古代の伝説の帝王しゅんがいた所で、黄河文明の発祥地といっていい。
魏よろもさらに北方にちょう国がひろがり、その東北方に国がある。趙・燕はすでに華北であった。また魏のはるか東方の山東半島の根もとあたりにせい国が横たわっている。この大作戦は、韓信軍を増強してこれらの諸国を平定もしくはかんの同盟国にし、広大な反戦線を形成するにあった。
劉邦りゅうほうは、内心多少不安でなくもない。
(もし成功すれば、韓信の版図はんとは俺の版図よりも大きくなるのではないか)
と、劉邦は、ほんのわずかだが、思わぬでもなかった。
このあたり、計算の数式はむずかしかった。
韓信の勢力圏は大きくないと、絶対強ともいうべき項羽への牽制けんせい力になり得ず、かといって韓信の版図を大きくしてしまえばいつかは韓信の心が変質し、劉邦と天下を争うというよなことにならぬともかぎらない。
不安はあったが、劉邦に猜疑さいぎ心がきざしたわけではない。
というより劉邦には猜疑するゆとり・・・なそなかった。彼は常に項羽という虎からねずみのように追われる身であり、逃げ道があるならどういう穴にでも飛び込みたかった。
張耳ちょうじについても、そうであった。
「韓信に添えるに張耳どのをやるというのはいかがでしょう」
という者があり、劉邦もこの案に飛びつくように賛成した。韓信を牽制するというわけではなかった。逆に韓信の仕事が張耳によってもっとうまくゆくだろうと思ったのである。
張耳は古くから趙や魏で大親分として知られていた。しんのさかんなころ、反秦運動を命がけでやった男で、そういう履歴と年季ねんきの古さだけで、乱世に浮沈するにわか豪傑どもが一目いちもくを置く存在であった。劉邦などはまだちんぴらのころ、張耳を慕って遠く外黄がいこう(河南省)まで行き、その屋敷の客として数ヶ月、遊んだことがある。
(張耳がいい、張耳がいい)
劉邦は、繰り返し思った。
張耳は魏の人だけに、韓信の魏での工作もうまくゆくに違いない。長く趙で遊んでいたために、趙人で彼の徳を慕う者が多く、趙に対する工作もうまくゆくだろう。張耳にとっても故郷ににしきをかざるということになる。なによりも張耳の人柄の大きさが、韓信をおさえるのにうってつけであった。
200/0615
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