~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
背 水 の 陣 (六)
劉邦は、袁生の献策どおり、この台地を南の武関から出、もとかんの国だった野を当南方に進み、えん城としょう城に入った。項羽に対し、南方からささやかながら刺激を試みたのである。
項羽は、驚き、
(蠅のようなやつだ)
と、思った。
無視しておけばよかった。しかし項羽は躍りかかった叩き潰さねば承知できず、いそぎ南下すべく滎陽けいよう城の囲みを解いた。作戦という冷厳な必要から項羽は行動しているのではなかった。性格といってよかった。
一方、韓信は魏をほぼ平定した。そのころ劉邦から「魏という国名を廃する」という命令がやって来た。韓信が魏王になりたがっているという噂があり、あるいは先んじてそれを封殺するためであったのかも知れない、これによって魏の全土が、
河東かとう郡」
という名称に変えられた。
このことは単なる名称変更ではなく、劉邦の幕営での国家思想が、封建制から郡県制はかたむきつつあるという証拠でもあった。郡県制は秦の始皇帝しこうていの創始した制度で、漢は漢を亡ぼしながらもその遺制を魏において踏襲とうしゅうしたことになる。
この時期、韓信は河東郡・・・安邑あんゆうにいた。
そこへ老いた張耳が、新編成の軍を率いてやって来た。張耳は、
(自分が行くと、韓信は監視されるように思って、気分を悪くするのではないか)
と内心不安であったが、実際の韓信は噂とは違った男だった。
歓迎の小宴を張り、張耳を心からもてなした。
「これで、私に不安が消えました」
と、韓信の方が言った。
(何の不安だろう)
と、張耳は返事をせず用心深く韓信の表情を読み取ろうとした。
「仕事が出来ます」
と、磨き上げたような笑顔で言うのである。
「自分の德は少ない」
とも、韓信は言った。このため魏の鎮撫にてこずったが、あなたが来てくだされば魏の人士は安んじて漢になびく気になるでしょう、とも言った。どうやら仕事だけが面白くてこの世に生れて来た男のようでもあった。
すでに漢王劉邦から命令が届いている。
「まずだいを討て、さらにちょうを、できればえんせいあわせよ」
という欲深い内容のものであった。
代というのは、ごく小さな地域である。現在の地理で言えば、太原タイユワン市と大同タートン市とのあいだの代県、繁峠はんじ県というあたりをさす。代は春秋の頃にはしんに属し、戦国の頃には趙に属したが、地理的に軍閥が割拠かっきょしやすく、常に半独立のていをとりつづけてきた。
「代は、匈奴きょうどの地に近く、ずいぶん遠征になります」
韓信は張耳に言い、給水のためのたるを多く調整したり、兵糧ひょうろうを整えたりした。兵站へいたん、補給という軍隊の暮しを重視したあたり韓信は単なる奇術的な作戦家ではなかった。
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