~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
背 水 の 陣 (十)
一方、韓信は季左車を尊敬し、怖れてもいた。
韓信の作戦準備の基礎には、克明な情報集めがあった。張耳がかつて趙国の要人であったために陳余の側近には旧縁の者が多い。韓信はこれらに利をきらわせて陣中の逐一ちくいちを諜報するように頼んであり、右の一件は早くも彼の耳に入っていた。
(井陘せいけいのがぶじ通れるというなら、いくさは勝ったようなものだ)
と思った。
これによって彼は安んじて井陘の道を通過した。やがて井陘口の手前二十キロの山中で軍をとどめ、宿営し、同時に最後の攻撃を準備した。
このとき、彼は後世に有名な「背水の陣」の作戦をことごとく準備しえるのである。まず奇計用の部隊二千人を編成し、その一人々々に漢軍のしるしである赤いはたを持たせ、
「敵に見つからずに山中の間道を縫い、山上から敵の井陘城を望見できる所まで行って埋伏まいふくしておれ」
と、命じた。
いま一つこの部隊に命じた。戦いの最中に私はいつわって軍を敗走させるつもりだ。敵はおそらく井陘城や諸塁をから・・にして追って来るだろう、すかさずお前たちはから・・の敵の城塁に入り、漢の赤幟せきしを林立させよ、というものであった。
翌朝、韓信は全軍 ── といっても約二万人にすぎなかったが ── を三段に分け、暗いうちに全軍に簡単な食事をとらせた。その上で諸隊長を呼び集め、
「正規の朝食は、戦いが終わってからろう」
と言った。諸将は驚いた。朝食前に戦が片付く、勝つ、と言うことであった。たれもがはらの中でわらったというから、韓信の才はこの時期では自軍においてすら十分には認識されていなかった。
彼は奇計用の部隊を前夜に出発させている。この日の未明以前に、主力軍一万人を出発させた。
出発させるにあたって、
「私はあとから出て行く」
と、先発する主力軍の諸将に言い、はじめて作戦を明かした。彼は枯枝でもって地面に配置やその付近の地図を描き、最後に大きく線を引っ張って、
「これが泜水ていすいの流れだ」
と、言った。諸君はこの泜水の流れの内側 ── 敵陣の側 ── に入って陣をけ、と言った。泜水を背にするということであった。
「それでは背水になりますが」
諸将は驚いた。背水の陣は凶であるとして兵家がいましめている。兵書にいう正しい布陣場所というのは、山稜を右にし、水沢すいたくを前面あるいは左にする、ということで、敵のちょうはそのとおりに布陣している。韓信の指定は、常識の逆であった。
「もし敵が仕掛けてくればどうしますか」
「背水でいい。やがて私が最後の隊を率いて出て行く」
「将軍が来られる前に敵が仕掛けて来ればどうなります」
背後の水に飛び込んで溺死できしせざるを得ないではないか。
「決して敵は仕掛けて来ない」
韓信は、敵を読み切っているように言った。敵が欲しいのは主将である韓信の首で、韓信さえ討取れば漢軍は四散する。先発隊が背水して布陣しても、これに仕掛けて潰乱かいらんさせれば、肝心の韓信の本軍が戦わずに逃げてしまう。敵はそう思って自重する、と韓信は言うのである。
「繰り返し言うが、敵は私の旌旗せいきが山の中から出て来るまで必ず待つ」
と、言った。
一万人の先発軍が井陘口せいけいこうから広濶こうかつな野に出た時は、夜がまだ続いていた。趙軍は韓信軍の松明たいまつの群を見、物見を派遣し、めるように動きをさぐり続けたが、やがて彼らが泜水を背にして布陣したのを見ると、走卒にいたるまで、
── 韓信は兵法を知らない。
と、口々に言い、大笑いした。韓信が買いたかったのはこの嘲笑であった。
やがて夜が白みはじめるころ、韓信の本隊が井陘口からあらわれた。大将旗をひるがえし、を鳴らして勢いよく趙軍に向かって進撃してきた。先着の主力軍は二段階になって泜水のほとりで動かない。進撃して来るのは、韓信と張耳の直率部隊だけであった。
「もう、よかろう」
陳余は、諸将に命じた。
どの城塁も一斉に門を開き、諸隊が先を争って押し出した。大軍に戦法なしといわれる。勢いがあればよかった。季左車りさしゃさえそういう気になった。趙軍は白波だつ海嘯かいしょうのようにひた押しに推してきて、やがて韓信に襲いかかった。
200/06/18
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