~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
斉の七十余城 (六)
劉邦はその夜、わずかにまどろんで夜明けの半刻はんときほど前に起きた。
えいよ、いまから韓信の本営を襲うのだ」
宿の亭主も叩き起こし、
── 案内せよ。
と、命じた。
韓信の本営がどこにあるかは、夏侯嬰かこうえい偵察ていさつしてよくわかっている。しかし夜の街衢まちは土地になじみの深いこの亭主の案内がなければまずい。
どの県城にも城内に(町内)があって、里ごとに門外があり、日没後は閉ざされる。古来、市中の夜歩きはどの町でも禁ぜられており、万人に撲殺されても非は夜歩きの側にある。亭主はむろん土地の者だから番人どもと親しい。
── 漢王様の御使者だ。
と、番人に言い、いくつかの門をくぐることが出来た。
韓信の本営は旧県庁にあり、篝火かがりびが焚かれ、兵士が守衛していた。
「漢王陛下の御使者である。韓信に急用だ」
夏侯嬰がその雄偉な体格で兵士を圧倒した。兵士がさえぎろうとすると、
「ひかえろっ」
と大喝し、門を押し通った。劉邦は悠然として歩いている。寝所の前にも兵士がいた。夏侯嬰はその兵士をいきなり締め上げ、猿轡さるぐつわませた。嬰は、兵士を両腕で羽交はがい込んでいる。その間に劉邦は寝所に飛び込んだ。
「信(韓信)、起きろ」
力をこめ、しかし声ばかりは低めて言った。が、韓信は大きな体をくねらせて眠りこけている。
── あれ・・は、韓信の怠け癖でございますよ。
酈生れきせいが言ったことがある。あれとは、八ヶ月も韓信が軍事行動をやめてしまった状態をさしているのである。この淮陰わいいん生れの男は周期的に気まぐれが出、ときに蛇が冬眠するように動かなくなるお酈生は言う。この馬鹿々々しいほどにほうけた寝姿を見ると、老酈生が言ったこともまんざら当てずっぽうではなさそうに思える。
劉邦はついに土間の器物をった。
「あっ」
と、韓信が飛び起きた。
「なぜせいへ行かぬ」
劉邦は浴びせた。

劉邦はすでに寝所にあった韓信の印符いんぷの箱を取り上げていた。もともとは劉邦が彼に与えたものである。この印符があればこそ漢のじょう将軍として麾下きかの諸将に命令を下すことが出来る。たとえば漢王劉邦を討つ、という命令さえ、時と場合によっては下すことが出来るのである。ただし取り上げれば、韓信はただの平人であった。同時にこの印符を手に入れた劉邦は、上将軍としての命令権のすべてを執行することが出来る。
「嬰、嬰」
劉邦は夏侯嬰を呼び、
「韓信の麾下の諸将をいそぎ集めよ」
と言った。
伝令たちが闇の中を四方へ飛んだ。
韓信は寝所の土間に呆然ぼうぜんと座っている。寝床の傍に愛用の長剣がある。
(斬ろうか)
韓信が瞬時でも思わなかったとすれば嘘になる。が、どうにも体や心が動かない。
(劉邦はこんなやつだったのか)
韓信は劉邦の才を尊敬したことは一度もなかった。
しかしこの時ほど劉邦のふしぎな大きさを感じたことはなく、ひざを折って劉邦を見あげ、幼児が父親の言いつけを待っているような表情を馬鹿のように取り続けていた。
「今日中に斉へ行け」
劉邦は韓信に命じた。
「ただし、連れて行く兵は二千人だけだ」
二千人で大国の斉を攻伐せよ、というのか。
「あとの軍勢はわしが直接指揮をする」
もっともなことで、漢王劉邦は韓信の大軍を強奪しないかぎり、一兵もいないのである。
韓信はうなだれながらも、考えはじめた。ちょうだけで五十余城ある。それにだいえんを通過して新兵を徴募すればなんとか数万の軍勢はつくれるのではなおか。兵の未熟はやむを得ない。それを補うのに戦術をもってすれば活路があるのではないか。
── 殺すことを考えなかった。
後日、韓信はこの場の自分をおもしろく感じた。
「では」
と、韓信は言った。
「・・・二千人を連れて今日斉へ発ちます。二千人に下知げちするためにその印符をお返しくださいませんか」
「そうはいかぬわい
劉邦はそっぽを向いた。二千人もまた劉邦自身が命ずる。韓信はただそれを率いて出発せよ。出発する前に印符を返してやる、と言うのである。
「・・・・」
韓信は、劉邦を見つめている。
劉邦は韓信の眼前でただ一人で寝所にいる。夏侯嬰は廊下にいる。この屋内のにいるすべての士卒は韓信の麾下の者であり、劉邦を殺してその王権を簒奪さんだつするのはきわめて容易なことであった。
が、韓信はなにか、呑まれてしまっていたのであろうか。というよりも、こういうとっさの場合、よほど憎んでいる相手でないかぎり非常の行動などはとれるものではなかった。韓信はつねづね劉邦を馬鹿にしている。しかし憎んだことなど一度もなかった。
むろん、憎まずとも人は殺せる。欲望もまた人を非常の行動へ突き飛ばすことがあるが、韓信には元来そういうものが希薄すぎた。
夜が明けると、諸将が集まって来た。たれもが目の前に劉邦がいることに驚き、口々に言いさざめいたが、劉邦の一喝で静かになった。
「今日よりわしがお前たちのじょう将軍を兼ねる。韓信もまた上将軍のままである。ただし韓信は今日より斉への征途にのぼる」
一同、口をあけた。事態が理解できず、従って劉邦が今言ったことが、容易に頭の中に入らなかった。
劉邦は、そういう心理ばかりはよく心得ている。彼は黙った。人々が疲れてしまうほど長く沈黙した。
やがて言葉の意味が一堂に浸透したころを見はからってから、
曹参そうしん
と、叫んだ。はい以来の手下である。
「韓信と共に斉へ行け。軍令はすべて韓信に従え」
曹参が沛の頃、県の役人であったことはすでに触れた。牢屋をつかさどる事務官で、蕭何しょうかがつねにその上司だった。この両人は仲もよく、たがいに文吏としての能力を認め合っていたが、挙兵後、蕭何が後方の関中かんちゅうにあってその行政とかん軍の補給に任じ、いわば文官であることをつづけているのに対し、曹参は行政面ばかりではなかった。むろん左丞相さじょうしょう丞相に任命されたりはしたが、しばしば将軍としても働き、この時期、韓信軍に属していたのである。
(曹参ならば、かど・・をたてずに韓信を掣肘せいちゅうするだろう)
同時に韓信の軍略の邪魔をすることもない、と劉邦は思った。ほかに灌嬰かんえいをえらんだ。灌嬰はかつて滎陽けいよう甬道ようどう防御戦で地味な働きをしつづけた男で、人柄もいくさぶりもそのままであった。
2020/06/22
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