~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
斉の七十余城 (七)
右の韓信かんしん軍を強奪した一事は劉邦りゅうほう一代での唯一といっていいあざやかな芸で、劉邦の人間について考える時、ふしぎな印象がある。
劉邦は、彼自身が自認しているところだが、元来、自分で何をするという事も出来ない男であった。若い頃から人々を連れて歩き、そういう連中がすべて事を運んできた。ただ人々の上にってきただけという面もあり、載り方がうまかったということもある。
かといって、劉邦のふしぎさは、いつの場合でも敵の顔の見える前線に身をさらし、人々の背後に隠れるということはなかったことである。
項羽こううに対してもそうであった。項羽という猛獣に対し、自分自身の肉を餌に相手の眼前にぶらさげ、それをもうとする項羽を奔命に疲れさせてきた。豪胆というよりも、平気でそれが出来るところに配下の者たちが劉邦についてきた魅力というものがあるのかも知れない。この場合、餌自身がむき身で韓信の前にあらあれ、むき身のままえた。劉邦がそういう絶望的な段階まで追いつめられたといえばそれまでだが、しかし韓信とその諸将がむき身のままの劉邦に気を呑まれてしまったというのは、劉邦が持っている何事かと無縁でなかったかも知れない。
劉邦は黄河北岸に居つづけた。
修武しゅうぶの東に小修武という町がある。そこへ補給基地を移し、町に兵糧ひょうろうを集積し、彼自身の軍営は城内に置かず、その南の黄河の岸ちかくに置いた。
対岸の成杲せいこう城はすでに陥ちている。
漢軍の将兵は四方に逃げ散っていたが、やがて劉邦が北岸にいることを聞き、群ごとに集まって来た。
わたるか」
最初の軍議の時、劉邦は威勢よく言った。黄河を渡って再び項羽と決戦しようというのである。冗談ではなかった。
郎中ろうちゅう(政務官の一つ)鄭忠ていちゅう という者が進み出て、その不可を説いた。今は塁を高くし、ほりを深くし、兵力の充実をはかるべきである、という。むろん劉邦もそう思っていたが、この場合、威勢のいいことを言わねば士気がふるわないとという事情があった。
「鄭忠はそう思うか」
劉邦はもう一度聞いた。
「命をしてもいさめとうございます」
「ああ」
劉邦は辞色じしょくをあらため、鄭忠のことばにしたがおう、と言った。
ただし、この場合、何もせずに守勢を保つことも危険だった。劉邦が北岸で逼塞ひっそくしていることによって項羽軍はいよいよ肥り、いよいよ強勢になってしまう。
このため、劉邦は大規模な後方攪乱かくらん軍を出すことにした。
の後方の根拠地(揚子江沿岸)くのである。楚軍はその多湿な稲作地帯からっはるかに兵糧を得ており、これが弱点といえばそう言えた。それを攪乱し、遮断しゃだんし、項羽の注意をその方面に向けさせる。項羽は全力を第一線に展開しているために後方はからっぽだった。
この長躯して南方の楚の地へ行く機動軍の将としては、有能でなくとも忠実な者を選んだ。幼友達の蘆綰ろわんと、父方の従兄いとこ劉賈りゅうかを任命し、すぐ出発させた。
一方、東の方面については、韓信とその二千人がすでに向かっている。
2020/06/23
Next