~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
斉の七十余城 (九)
が、酈生自身は、そうは思っていない。
(韓信が可哀そうだ)
というのが、このたびの案の発想のもとなのである。
せいは、強国であった。
(わずか二千の兵で斉一国をとろうというのは、卵を投げて石垣を崩そうというにひとしい。韓信は斉の戦場で死ぬだろう)
斉は、でん氏の国である。しんに滅ぼされ、田姓の王族たちは庶民になった。このたびの乱に乗じ、田儋でんたんという者が策略をもっててき(山東省)の県令を殺し、
「私は旧王家の血をひいている、今日から斉王である」
といって自立し、四方を切り取った。が、この男は秦の章将軍と戦って敗死した。以後、田氏の内部で権力闘争がはげしく、さまざまな田姓の者が王になったり宰相になったりした。
今は田儋のいとこの子の田広でんこうが斉王になり、田横でんおうという歴戦の武将が宰相になっている。実権はこの田横にあった。
「田横は、人望のある男です」
酈生は劉邦に説いたのである。
田横はよく賢者を用い、士を愛し、民を治めるに手厚いために、斉はこの乱世にあってよく治まっている。人望については後日譚がある。後年、彼は自分の名誉を守るために旅先で自殺した。その時同行していた彼の二人の「客」は田横が死んだことを知ると、あとの始末をして二人ながらくびはねて死んだ。その時期、田横はいまの遼東半島に近い島にかつての士を率いて隠遁していたが、旅先で田横の死が伝わると、五百人の士のほとんどが自殺したといわれる。
「田横は儒徒です。私は多少の面識があり、行けば会ってくれるでしょう。陛下が使者にしてくださるなら、これに説くに不戦をもってします。漢に味方すれば兵の血を流さずに斉国は安泰だということをこの三寸の舌で説いてみましょう」
「お前の舌一枚で斉の七十余城が味方になるというのか」
勢いのいい時期の劉邦なら一笑に付したろう。戦国の頃、合従がっしょう策を説いた蘇秦そしん連衡れんこうを説いた張儀ちょうぎなどがあらわれ、その雄弁と奇計をもって諸国の王に説き、思うがままにころがした。この両人以後、この種のけれん・・・に富んだ外交技術を研究する学派を縦横家じゅうおうかという。舌一枚で国の方針が左や右にころぶというなど遠い戦国のころの昔話で、今日に通用するはずがない。
「お前は儒者のくせに縦横家のまねをするのか」
「縦横家のように道義のないことは致しません。儒者として斉王と田横に説いてみようと思うのです」
(やらせてみるか)
と思ったのは、失策しくじってもともとであるし、この逼迫ひっぱくした状況下では一筋のわら・・ でも手をのばしてつかみたかった。
斉が大変な国だという事は、劉邦もわかっている。斉の七十余城が本気になって防戦すれば三十万の兵をもってしても平定に一年以上かかるだろう。
「行ってみろ」
と、劉邦は、思い切ったように言った。すぐさま印璽いんじを持って来させ、斉王への親書を書いた。
行軍中の韓信へはこの件を告げなかった。韓信が、途々みちみち兵をふやして斉を伐ち得るまでは、よほどの月日つきひがかかると劉邦は見たのである。
2020/06/24
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