~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
斉の七十余城 (十二)
酒宴は、三日つづいた。
このかんに、酈生の意見だけでなく、各級の随行者の肚の中が、ことごとく斉側にわかった。
四日目に、酈生が斉王に拝謁してその意見を開陳かいちんした時には、ほぼ斉の方に、この同盟についての漢の考えの表裏がつかみとられていた。
「斉は、万世ののちまで栄えねばなりませぬ」
酈生はまず言い、以下、華麗な修辞と堅牢な論理をもって展開した。
「そのためには、天下の帰するところを知らねばなりませぬ。大王よ、ご存知でありますか」
「知らない」
斉王は、真剣な表情で言った。
「それは困った事です。大王にして天下の帰するところをご存じならば、斉国の安全は保たれます。そうでなければ、たとえ斉が百万の精鋭を保有していようとも安全は期しがたいです」
「天かはどこに帰するのだろう」
「漢に帰します」
酈生が断言し、斉王はおどろきをうかべた。
「先生、どうか斉のためにその理由をお聞かせ願えまいか」
実のところ、劉邦は弱く、項羽こううは強い。天下はもはたに定まったようなものであり、いまさら漢が勝つなどといっても詭弁きべんのようなものである。
斉は独立を保っている。
しばしば楚から脅威を受けてきたし、項羽自身が大軍を率いて斉へなだれ込んで来たこともある。とうてい楚には適し難いという恐怖を斉の士民は骨がふるえるほどの実感で感じたが、楚がどうして終局において漢に敗けるというのであろう。
酈生は、長広舌ちょうこうぜつをふるった。
楚と漢の両者の優劣を細かくあげつつ、楚の致命的欠陥を拡大して述べた。項羽が狭量で賢才を用いない事、その性は残忍であまりにも多くの人間を興醒めさせてしまったことなどをあげた。
「漢王はそれに対し、まったく正反対の人格を持っております」
義を重んじ、賢才に対し海のように懐がひろく、しかも人を殺すという事を好まない、と酈生は言う。このことは劉邦の持って生まれた性格なのかどうか。
多分に彼の世間像としての人格であろう。一方において項羽の個性とそれによる行為が際立ちすぎている。それがために、その対立者である劉邦の人格がその反対の性格として世間によってつくられはじめ、劉邦自身もその機微を察し、意識的にその世間像としての自分を演出してきたともいえる。
もっとも劉邦は可塑かそ的な── 細工するには粘土のようにどんな形にもなりやすい ──性格を生まれつき持っていたという事も、あわせて言えるが。

が、このような優劣論は項羽の方に力点を置いても十分展開できることで、斉王も田横らも、ただ酈生れきせいのゆたかな修辞法を芸術として観賞するという態度をとりつづけていた。
ただ、酈生はその開陳の中で、食糧にふれた。食糧において漢が圧倒的に有利であるという実証をして行った時、斉王も田横も、なるほど、という、陽が射したような表情になった。
すかさず酈生は、
「それにひきかえ、楚は、兵の食糧の補給に難渋しています」
と言い、遠く南方の楚の米作地から老人(壮者は兵として狩りだされているために)がえんえんと列をなして前線へ穀物を運んでいます、と言った。
だいたい項羽には補給の感覚がないのです、と酈生はつけ加えた。亡しんが貯えた天下第一の穀物倉である敖倉ごうそうを手に入れた時も、これを守るにに少人数の囚人部隊を置いただけでした、だから漢に奪還されたのです、というが、その後楚軍が滎陽けいよう成杲せいこうを陥とした時に敖倉も奪い返したという事実は、酈生は伏せた。
このあと酈生は宿舎に帰って休息した。そのかん、斉王と田横らは漢に味方することに決し、夕刻酒宴を用意して酈生とその随員団を招いた。
斉の美人が多数宴席にはべった
「愉快だ。この世でこんな快事があろうか」
酈生はしたたかに酔いくらった。
斉王も田横もよほど嬉しかったらしく、前線の守りを撤収し、多くの兵を故郷に帰し、将官は臨淄りんしに戻って来た。
酒宴は幾日もつづいた。斉の儒者が招く宴もあり、前線から帰って来た将軍たちが主人役の宴まであった。宴の予定がいつ尽きるとも知れなかった。
2020/06/27
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