~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
半ば渉る (六)
項羽は、竜且りゅうしょ にすぐ出発させた。
「ほしいだけの人数をあたえよ」
と言ったために、北上してゆく竜且の軍容は、楚の主力軍であるかのようにさかんであった。
「二十万」
と、道々呼号させてゆく。

一方、亡せいの王こうは、敗残しつつも天下の耳目じもくを集めている。
今日の呼称でいう山東半島は亀の首のように大海に突き出、海を渤海ぼっかい黄海こうかいに分けている。
その亀の首のつけ根を、頸輪くびわでもするように濰水いすい が流れている。その濰水から頭部にかけてが、この高名な半島の尖端部といっていいだろう。斉王広がいる高密こうみつ城は、その濰水の内側(半島側)にある。濰水を天然の巨大な要害とし、西方の平野地方からの敵(この場合は韓信)を十分に防ぐことが出来るのである。
それに、高密は孤城ではない。
おなじく濰水と半島の要害に守られつつ高密の東南に城陽せいようがあって、斉の相の田光でんこうこもっていた。

韓信の悩みは、濰水西方の山野を十分に掃蕩して後顧こうこの憂いを絶っておかねば半島の尖端に大兵を結集することが出来ないというところにあった。
この点、竜且には自由がある。
── 韓信の臨淄りんしを攻めるか、それとも斉王広のいる高密城へ行ってこれと合するか。
という選択においては、後者を選んだ。半島と濰水に守られた高密城のほうが敵を防ぐのに便利であったからに違いない。とすると、竜且らしくもなく防御を選んだということのなるが、別の見方でいえば、防御にも突出とっしゅつにも有利である高密の方を選んだということであった。他の場合 ── 臨淄攻めを選んだ場合 ── 攻囲軍の背後をかれるおそれがあるが、高密にはそれがない。竜且は韓信のような小僧・・に対し、一か八かの決戦を挑まねばならぬ理由がなかったのである。
竜且とその麾下きか二十万は、韓信の来着に先んじて山東半島の先端に達し、高密城に入って、斉王広とその無傷の直衛軍の大歓迎を受けた。
竜且にも、客がいる。
客とは厳密な主従関係を結ばずに智謀で仕えている幕僚といっていい。
その客が竜且にすすめた戦略方針はこの大陸古来のもので、現代史にまでその思想が貫かれているといっていい。
要するに一ヵ所(この場合は山東半島の尖端)そ堅守し、他はゲリラ戦を大展開して韓信軍の後方や足もとをさわがせ、農民と協同してその糧道を断ち、飢餓によって降伏せざるを得ない窮地に追い込む、というものであった。
韓信軍の弱点は、はるか遠方から斉に来ている、ということであった。客の表現では、
「漢の兵は、二千里の外に客居しています」
ということである。
「それは弱点ではありますが、強味でもあります。遠来の兵は土地になじまず、このため一会戦のために必死に戦う性質を帯びているということです」
「でありますから、楚としては二千里の外から来た漢の兵を強からしめる形態の戦いを避けねばなろませぬ。会戦を避け、濰水の守りを固くし、一方、濰水西方の山野に転々とちらばっている斉の残兵を鼓舞し、これらにたえず兵と兵器、糧食を補給し、漢兵を飢えさせて行く方法をとれば必ず勝ちます」
「さらにいえば」
と、客は言う。
「味方の楚。斉連合軍のうち、斉の兵は自国の内で戦うために、地理に明るく、農村に知人が多く、言葉も相通じますから、ついそれにもたれて ── 決戦方式の場合 ── 散走しやすい、という弱点をもちます」
2020/07/01
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