韓信がおそれていたのも、敵が守勢をとるということであった。
(斉王が作戦を主導すれば、きっとそのようにやるだろう)
しかし人数において楚軍は圧倒的に多く、このため慣例によって大軍の将─この場合、竜且 ─ が総帥そうすいになり、作戦を主導する。
(つまりは、竜且の性格だけを考えていればよい)
竜且の性格は、楚人そのものであった。剽悍ひょうかんで進むを知って退くを知らず、激しく決戦して敵の芝を踏むということに戦いの価値を置いている。過去の戦列から見てもそのやり方は項羽そのままであり、みずから鉾ほこを舞わし、全軍を火の玉のようにして前へ前へと駈かりたてててゆくという式であった。
(おそらく決戦するだろう)
韓信としては、激しく決戦してもらわねばならない。
決戦を選択させるためには、竜且に慢心をおこさせなばならなかった。つまりは韓信をあなどらせねばならず、このため韓信は大金を使って多数の諜者ちょうじゃを濰水いすいの内側(東方)にばらまき、
(楚軍は百戦の常勝軍である。これにひきかえ漢軍は趙ちょう兵、燕えん兵、代だい兵、それに斉せいの降参兵を合せた雑軍である)
と言わせた。右は詭弁きべんではなく、万人が認識し得る事実あるいは実情と言っていい。
「韓信はもともと白面の書生にすぎない。淮陰わいいん城下で長剣を鳴らして歩いているころは臆病者として有名であり、屠夫とふにおどされてその股をくぐったこともある」
これも、事実である。
事実ほど宣伝しやすいものはなかった。
「だから韓信は竜且将軍の到来に怯えきっている」
これだけは、事実ではなかった。
韓信という臆病者は自らの臆病を愉たのしむところがあり、その臆病をたね・・に恐怖からまぬがれるあらゆる方法と段取りを考える事に熱中していた。
竜且はそこまで韓信を知らない。
「私はあなたの策はとらない」
と、客の説をしりぞけた。
「大いに韓信と会戦するつもりだ。いま守勢を保って韓信とその兵を飢え死させる手を用いれば私の功は現れない。せっかく大軍を率いて斉の地を踏んだというのに敵を見て戦わないというのは怯きょうするに似ている。天下の耳目が斉の地に集まっているのに、客よ、あなたのいうとおりにすれば楚もまた天下の信を失う。それに韓信はかつて楚軍にいた。彼の臆病は世人も知っているが、わしが最もよく知っている」
|
2020/07/01 |
|