~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
半ば渉る (九)
その翌々日、韓信は濰水のつつみの上に馬を立て、対岸の敵とそのうしろの高密こうみつ城をのぞんだ。
(竜且は、やる気だ)
このことは対岸の旗風や兵気のさかんな様子を見てよくわかった。この分では竜且も、城を飛び出して前線に出ているだろうと思われた。
大そうな幅をもった川ではないが、ここ数日霖雨りんうが降ったために水嵩みずかさがあがっており、場所によっては水がみあうよにして流れていた。
(とてもわたれぬ)
韓信は、かねて思案していた条項の一つを命令に移した。
全軍のうち二万に対して一個ずつ土嚢どのうを作らせることであった。さらに麾下のすべての将軍を集め、自分の作戦をくりかえし説明した。
「要は竜且を捕えて斬ることだ」
楚軍は竜且の勇に依存している。竜且が死ねばたれもせいにとどまることを欲せず、さきを争って項羽のもとに帰るだろう。
「あの対岸に竜且がいる」
むちをあげながら言った。旗の数を見れば竜且のいり場所までわかる。
「── 竜且は我々を攻撃するにあたって」
後陣に居るようなことはすまい、必ず先鋒せんぽうを指揮してけて来る。先鋒を捕捉ほそくすればそこに竜且がいる、と韓信は言った。
「しかし竜且はこの河を渉れるでしょうか」
この水量では、人馬ともに押し流されてしまう。
「水量を半分にすれば渉れる」
と、韓信はこたえた。人々は不審がり、
「竜且がその作業をするのでしょうか」
「まさか」
韓信は笑い、
「我々が竜且のためにしてやるのだ」
と言った。

韓信は河川戦闘がおはこ・・・のようになっていた。
黄河こうが渡河とかせんでは舟を用いず、木製のかめを無数に集めて舟艇しゅうてい がわりにし、それによって敵の計算外の場所から渡河して意表をついた。井陘口せいけいこうの戦いでは泜水ていすいという流れを背にしていわゆる背水の陣を敷き、烏合うごうの衆にすぎなかった自軍の士卒に前進する以外逃げようもないという死狂しにぐるいの決意をさせた。
「韓信は水を使う」
という重要な一条が、竜且りゅうしょの韓信研究から抜け落ちていたのは、せい連合軍の不幸であったと言っていい。
この夜、韓信は上流の狭隘きょうあい部を石の土嚢でせきとめさせた。二万余の土嚢が川底から川面へずっしりと積まれたが、むろん水勢によって土が溶け、もしくは土嚢と土嚢の間隙かんげき から水が溢出いつしゅつした。しかし一晩つ程度であるにせよ、下流へ流れる水量が半減した。
下流の一点に、韓信が立っている。
夜明けとともに韓信は戦鼓せんこを叩かせ、減水した河中に兵を入れた。韓信自らが先頭を切って進んだ。
「韓信みずからが寄せて来た」
という報が、対岸の楚・斉連合軍の間を走った。竜且は別の場所にいたが、すぐ手兵を率いて駈け、此岸しがんに登り切っている韓信軍の横腹をくと、韓信は馬上で驚倒した。もしくはそのふりをした。
「おどろけ、おびえよ」
韓信は自分のまわりの親衛軍に命じた。数十本の旗竿がみるみる乱れ、かしぎ、ふたたび河に向かって崩れるようにして退却しはじめた。切所せっしょに至って敗走する真似をするというのは韓信がかつて井陘口の戦いでちょう軍に対して演じた芸であったが、韓信をあなどりきっていた竜且は簡単にかかった。
「客よ」
と、馬を駈けさせつつ幕僚に誇ったぐらいであった。
「わしが言った通りではないか。韓信の臆病は今に始まったことではないのだ。追え」
鼓を鳴らし追撃を開始した。
十一月の水がは冷たかったが、竜且とその人馬はしぶきをあげて水に入り、腰のあたりを水に押されながらわたりはじめた。
「一挙に韓信を討取れ」
竜且はふりかえり、全軍に渡河を命じた。しかし河のふちを避けるためにはこの大軍も十列か十五列の縦隊にならざるを得ず、押して行く厚みに欠けるところがあった。
韓信は味方の岸辺にいあがると、ふりかえった。追って来る楚・斉連合軍の中に竜且がいた。
韓信はさらに逃げ、敵を上陸させた。敵が半ば上陸したあたりで、狼煙のろしをあげさせた。
上流では、この合図を待っていた。彼らは土嚢の壁を一時に断ち切って水を奔流ほんりゅうさせるとともに戦場へ駈けた。
戦場付近に埋伏していた韓信の他の軍も、いっせいにちあがった。
竜且とその軍は、孤軍になった。
── 韓信は敵の「半渡はんと」に乗じた。
と、のちの兵法用語になったが、この時期、むろん半渡という熟語は出来ておらず、半バ渡ルニ乗ジタ、と表現されるべきものであった。あとの半ばは、にわかにふえた水量のために進めず、おぼれる者、流される者、甲冑かっちゅうをぬいで自軍の岸へ泳ぎかえる者など混乱をきわめた。
竜且とその部隊を韓信軍のありったけの兵が囲み、けものを狩るようにして遠矢とおやを射、近矢ちかやを射、射すくめつつ包囲環を小さくし、ついに竜且その人を囲んだ。竜且は岩のような肩と精気のみなぎった太い頸を持っていたが、矢に射すくめられて血みどろになり、ついに馬も失い、知に伏したまま漢の雑兵ぞうひょう鉾先ほこさきにかかって果てた。
楚軍の一方をつめに支えて来た勇将mの最期としては、みじめであった。竜且がなぶり殺されるようにして死んでゆくのを対岸から楚・斉連合軍の半ばが手をつかねて眺め、同盟者である斉王こうにいたっては口をあけてなすことがなかった。戦いではなく奇術ではないかというのが実感ではなかったか。
2020/07/02
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