~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
半ば渉る (十)
この戦勝は、韓信の世間像を巨大にした。
韓信自身の本質は変わらなかったが、蒯通かいとうのように韓信を自分の縦横学の素材であると思っている男にとっては、
(もはや、楚・漢以上の存在ではないか)
お思えた。韓信さえその気になってくれれば項羽・劉邦に対する第三勢力として対等にを争うことも出来るのである。
もっとも蒯生の望みは、そのようなものではない。
(韓信の帝国をつくることだ)
と思っている。せっかく自分が韓信を見込んだ以上、彼をたかが項羽や劉邦づれに比肩ひけんさせたところで仕方のないことであった。帝国をつくらせてはじめて縦横家の仕事のおもしろみが出ようというものであった。
それには、彼らと形式上同資格であえう王という身分だけは獲得しておかねばならない。
(斉王がいい)
残敵の掃蕩戦で、韓信の主力軍は斉王広を城陽せいよう まで追ってこれを生け捕りにし、灌嬰かんえいは亡斉の相である田光でんこうを追って、これを捕え、田横でんおうについてはこれを取り逃がしたが、その軍を嬴下えいか(山東省)に破り、戦闘力をまたtく消滅させた。さらに亡斉の将田吸でんきゅう千乗せんじょう(山東省)において灌嬰に殺されている。
斉は、滅亡した。
あとは斉人を鎮撫ちんぶすることだが、この古代文明の栄えた土地は人もまた老熟してぎょしにくく、いつわりに満ち、心が変わりやすく、反覆つねない、と言われている。
「漢の将軍というだけでは、治まりますまい」
蒯生が韓信に献言した。
漢の将軍と言う資格では、治めらっれる斉人にとってはつねに自分が敗者であるということが忘れられず、勝利者が駐留して軍政を布くほど腹の立つことはない。いっそ斉王になってしまえば、斉人にとって他郷人といえども王は王であり、臣民として王に忠誠であらねばならぬという倫理は古来積みあげられて出来上がっている。その伝統の倫理の上に乗っかって王として統治するという以外、斉をまとめてゆくことが出来ないのではないか。
「それはわかるが、私が斉王になるのは困る」
韓信が言った。
「かといってあなた様以外にたれが斉王になります」
「このままでよいではないか」
韓信における矛盾と言っていい、大望のぬしのくせに、物事がこのように差し迫って来ると、どうにもはにかんでしまう。というより漢王の軍を用いて戦いに勝ったということの負目おいめはどう仕様もなく、もし自立して王になればそのまま謀叛むほんということになるのではないか。韓信には倫理的潔癖さがあり、このあたりの調整は彼一個の内部ではどうにもならないものらしい。
(よく考えてみると、大望などといってもはかないものだ。わしの場合、大がかりな戦をして自分の才能を試してみたいというはなはだ子供っぽいものに過ぎなかった)
戦いはことごとく勝った。もっとも勝つたびに韓信の実像とはべつにその世間像が膨張して独り歩きしはじめている。蒯生はその世間像の方を利用したいという学派であった。
「わしは一介の書生でいたかった」
「そてはうそでしょう」
蒯生が、韓信への好意を込めつつも、わずかにあざ笑った。蒯生のような男には、人間の精神が持つ微妙な陰翳いんえいがわからない。
「いや、半ば本当だ。あとの半ばというのは野心だが、それも自分の異能を世間で試してみたいということだけだったように思う」
韓信は、真顔でものを言っている。
たわごとを」
蒯生は笑った。
「いまさらもとの書生に戻れなすまい。今あなた様が斉王におなり遊ばさないというのなら、斉は必ず乱れます。乱れた斉はあなた様のおためにもならず、また漢王のおためにもなりません。そのことはあなた様もお認めになりましょう」
「認める」
韓信は微妙に笑った。
「それならば、せめて仮の王ということではいかがでございますか」
(仮の王ならば、私の真意を漢王も理解してくれるのではないか)
韓信は、このことにつき、蒯生かいせいが実行に移すことを承知した。
2020/07/03
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