~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
虞 姫 (一)
虞姫ぐき、二月、春草いまだえるにいたらない。
彼女が項羽こううに識られたのはこの時期から一年半前、項羽のもっとも多忙な時であった。項羽はその首都彭城ほうじょう(のちの徐州)を留守にし、北方のせいの討伐に向かっていたころで、斉の地では大いにでん氏の軍を破り、斉の野も山もけずりおとすような勢いで平定しつつあったときに、路傍にうずくまる少女を見た。
項羽は馬をとめ、
「父は、無きか」
と、問うたが、彼の音は斉では通じない。少女は機織はたおり小屋の横の草のかげにいて、蒼い布を一枚かぶって震えていた。ふたつの大きなひとみが空の色のように青かったのを項羽はおぼえている。
「この娘に車を与えよ」
と配下に言い捨ててけ去り、数日後に討伐をえて宿所でこの娘を見た時は意外にも瞳が黒く、まぶたのふちがかやで切りさいたようにあざやかで、あの時の印象とは別人のようであった。
すくんでみよ」
にわかに命じた。と同時にかたわらの布を投げた。
女孺めわらべが二人、その布をとって少女にかぶせた。少女はおびえてしまい、言われずとも身を小さくし、項羽ののぞむ姿勢になった。ただ、顔を伏せている。
「わしを見よ」
というと、白いひたいを上げた。瞼があがり、みるみる目が大きくなって、瞳に暗い青さが宿った。あの時の娘だった。
胡女こじょか」
と聞くと、少女はかぶりを振った。もう瞼が下がって、柳の葉のように細い目に戻っている。
事情を聞くと、彼女の一族は斉の田氏の反対派で、項羽の楚軍が入って来た時、これと内応するつもりでいたのが露顕し、両親とも田氏の軍に連れ去られて斬られてしまったらしい。
「姓は」
と申しまする」
少女は布を女孺にもどしたが、その時伸ばした細い腕がひどく長いように思われた。背も高く、唇が黒ずんでいるせいもあって、としはたけているように見えた。
「虞よ」
項羽は呼んだ。女の場合、姓が名前として使われる場合がしばしばある。
「以後わしのふしどの世話をせよ」
そのあと、首都の彭城が劉邦りゅうほうによって攻め取られた時、項羽は手勢を率い疾風のように南下してかん軍を撃滅し、劉邦を走らせ、彭城を回復した。この時項羽は逃げ遅れた劉邦の妻呂氏りょしと父の太公たいこうをとりこにした。
項羽はこの電撃戦の時、虞姫を後方に置き捨てた。その後追撃戦の先頭に立ったりして、項羽は露営を重ね、みどりとばりの垂れた寝室にたことがない。
やがて作戦が一段落してある町の殿舎にとまったとき、宦官かんがんが寝所をととのえて虞姫をその中に入れた。項羽は久しぶりでこの少女を見た。
「まだそなたの名を知っただけで、他は何も知らない」
この時の項羽は、彼女のこれまでの先入主や印象を洗い流してしまうほどに優しかった。
項羽のおかしさは、知らない人間に対しては古家の土壁でもきおとすような無造作で殺してしまえるのだが、名を知り、顔を知り、一度でも言葉をかわせば別人のように情誼じょうぎがあつくなってしまうことであった。このことは彼の諸将、謀臣、士卒がすべて彼によって愛されていることでもわかるし、その情愛は劉邦のその配下に対するそれの比ではなかった。虞姫ぐきに対して次第に優しくなり、いま、声までが物柔らかになってしまっているのは、項羽の好色によるものではなかった。なべて色を好むという事では、むしろ劉邦の方がそうであったろう。
2020/07/04
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