~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
虞 姫 (三)
劉邦りゅうほうは、弱かった。
(あの弱い奴が、なぜわしに屈しないのか)
項羽こううは不思議でならない。
項羽の見るところ、劉邦は食物に執着しゅうちゃくしている。というしん帝国の遺産である巨大な穀物倉が大好きで、自然、その敖倉の付近にある滎陽けいよう城と成杲せいこう城という黄河こうが南岸の城市まちに執着していた。
(劉邦の頭は、わしと戦うよりもおのれの兵を養うことしか考えていない)
武人でなく、つまりは野盗の親分にすぎないのだ、と項羽は見ていた。劉邦も漢軍もはえのようにさえ見える時がある。
項羽は虞姫ぐきを得たあとも、その蠅を追うのに忙しかった。
虞姫を得て一年二ヶ月のうちに項羽は劉邦を成杲城に囲んで締め上げたところ、劉邦は夏侯嬰かこうえいとただ二人で黄河を北へ渡って逃げてしまった。
(蠅は、敖倉の食物を失ったわい)
と項羽はおかしがったが、しかし対岸へ渡った劉邦はしつこかった。兵力がちりじりになって主力決戦をする能力など失ってしまっているのに、広域作戦を考え出して項羽の領域の隣接地や補給線を攪乱しつづけた。韓信かんしんを遠くせいの地へやってそこを征服させたり、彭越ほうえつという老獪ろうかな盗賊上がりの親分に楚軍の食糧を供給している農業地帯を襲わせたりしていた。
とくに彭越がわずらわしかった。
── いったい、彭越とは何だ。
と、項羽は卓を叩いてうめいたことがある。鉅野きょや(山東省)鼠賊そぞくだった男ではないか。若い頃は鉅野の沼沢しょうたくかわうそ・・・・のように魚を取って暮し、長じては沼沢地に隠れ家を持って盗賊になった。秦帝国の頃は煮ても焼いても食えないお尋ね者で、郡や県の下級官吏を抱き込んで地下の県令のような一種の勢威を張っていた悪党であったが、秦末の乱に乗じ、郷党の少年を率いて挙兵した。
(あの老賊め)
項羽は彭越の人相を聞き知っている。髪は二束ほども抜け落ちて、顔の皮膚は砂岩のようにぎらつき厚ぽったい瞼がいつも垂れていて、年中眠っているような顔つきだが、行動の機敏さは若い項羽でも及ばない。
火の粉を飛び散らすようなゲリラ戦が巧みなだけでなく、軍規については手きびしく、このためその軍隊は一見組織的ではないように見えて、彭越の命令は隅々まで行き渡るように出来ている。
劉邦は、この彭越をうまく使っていた。
というより、彭越が劉邦を使っていたと言えるかも知れない。彭越は挙兵後ほどなく劉邦の属したが、劉邦を見込んでのことではなく、もののはずみいうべきものだった。秦が亡び、一時期、かい王、項羽が天下の流民団の総代表になって大いに論功行賞した時、彭越だけははずした。
── ただの盗賊ではないか。
と、当時、謀臣の范増はんぞうらが言ったためだが、しかし現実の彭越は支配下一万という大きな勢力で、侯として封ぜられてもおかしくなかった。
「あの男に滅秦の功があったわけではない」
まして項羽のもとに顔も出したことのない男だから、項羽はこの一言で范増らの言う通り黙殺した。
2020/07/06
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