~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
虞 姫 (六)
りょうの地まで、二百キロをこえるだろう。
往復十四日はかかる。項羽の見積もりでは到着するや一日で敵を撃破し、宿営もせず、その足で成杲に引っ返して来ようというものであった。彼の武力のすさまじさが、この無造作な予定からもうかがうことが出来る。
彭越ほうえつと彼を応援する漢軍が梁地方の十七城を奪ったとはいえ、その主たる城市は外黄がいこう雎陽すいようであった。
項羽が得た情報では、
「彭越軍は外黄と雎陽に入って、楚軍が集積していた兵糧ひょうろうを焼き払った」
と言うことであった。兵糧は焼かれたが、その両城が敵に取られたとは聞いていなかった。しかし、梁に入ると、この両城に漢軍の旗が林立し、意外なことに、項羽が来ても逃げなかった。
予定が狂った。
項羽は攻城戦をやらざるを得ず、城を囲んで火を噴くように攻めたてた。城攻めは長期に攻囲する以外にないのだが、短兵急を好む項羽の気性に合わなかった。項羽は外黄城の周囲に城攻めの高櫓たかやぐらを組み上げる一方、城壁を崩す作業をさせた。彼にとってこれほど嫌な手間ひまはなかったが、何よりも腹の立つことは外黄の市民が漢軍に味方して城壁から石などを降らせてくることだった。
市民にとっては漢軍が強制するためにやむを得なかった。
が、項羽の感情は、
── 裏切って、敵になりおった。
ということで煮えたぎった。世界を敵味方の黒白でしか分けることが出来ないというのが項羽の性癖で、これに対し劉邦りゅうほうは世界は灰色であり、ときに黒になり、ときに白になると思っていた。
外黄で、思わぬ日数が過ぎた。
やがて城が陥ち、漢兵が逃げ、市民が残った時、項羽は生き残った市民のうち十五歳以上の男子のすべてを繋がせ、かつ城外にあなを掘らせた。
こうしてしまえ」
それも百人阬、千人阬ではなく、万人阬であった。その作業も、やがてそこに生き埋めにされる市民自身にやらせた。項羽の常套じょうとうの法であり、これまでに彼はどれだけの人間を阬してきたかわからない。
「当然の罰だ」
と項羽は思い、この決定と遂行にいささかのひるももなかった。
ところが、作業を巡視中に、少年を見た。少年は他の者と同様、両足に縄を引きずってくわを打ちおろしていたが、手をとめて項羽を見た。目が、虞姫ぐきに似ていた。
大王だいおう、外黄の者はただ漢軍におどされて戦っただけなのです。たれもが大王を慕い、大王の来られるのを待っていました」
少年の目は奇妙なほどに怒りを宿さず、むしろその表情に項羽へのあこがれがあった。
「であるのに、このように阬されるという。あまりにも外黄に人々が可哀そうでございます。慕って殺されるというなら、人々はもはや大王を慕わなくなりましょう。・・・梁は」
少年は泣きだしてしまった。
「梁には、外黄だけがあるわけではありません。あの十幾つの城の人々も、このような目にうなら、死を怖れて懸命に戦うことになりましょう」
項羽は最初、眉をしかめていたが、やがて子供のような顔になり、唇をあかて聴き聴き終わるとすばらしい道理だと思った。
「小僧」
と、項羽の本質の一面をそのように見て、しばしばかげでののしっていたのは范増はんぞうであったが、項羽にはたしかにその一面があった。もっともただの小僧ではなく、天才という雷電のような働きを内蔵した小僧ではあったが。
「解いてやれ」
と、兵に命じて、すべての市民を自由にした。少年の足の縄も解き捨てられた。項羽は馬を往かせながら振り返って少年を褒めた。ひるがえって言えば、項羽の幕僚にはこの少年程度の者もいなくなっていたのである。項羽は武においてたれよりも優れていたことと、性格や価値判断において白黒が鮮明すぎるために、人々は項羽を畏伏いふくするのみで、その言葉に逆らわなくなっていた。楚軍のみごとな統制の一面、病的な欠陥があらわれはじめていた。
2020/07/09
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