~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
虞 姫 (十)
漢城、楚城という二つの峰に築城上の優劣はないが、ただ決定的な違いは漢城の峰はメシツブのかたまりであるのに対し、楚城の峰はどこを掘っても穀物のかけらも出て来ないということであった。
項羽は、劉邦りゅうほうより馬鹿であるという証拠はひとつもない。
ただ一点、項羽のおかしさは、めしというものは侍童が持って来るものだと思い込んでいたことであった。楚軍の補給は、その部署に立つたれかがやってきたが、項羽自身が頭を悩ましたことはなかった。というより、将たる者がそういうことに心を煩わすのは愚だということが物の考えの底にあったと言えるかも知れない。
ひと月も経つと、楚城の峰の兵は餓えはじめた。
漢城の峰の兵は、血ぶくれするほどに肥っている。
(劉邦の奴、卑怯な。・・・・)
と、項羽はようやく劉邦の魂胆がわかった。あの意地ぎたない男が広武山こうぶざんに登ったことも、登っただけでなく、あの峰を占拠したことも、さらには倉のないこちらの峰を残して項羽を誘導し、築城させたことも、すべてわかった。この峰に居ればいるほど項羽の軍は痩せてゆく、という仕掛けになっていた。
後方のりょうの地が、楚軍の糧秣りょうまつ集積地である。それも彭越ほうえつ老人に焼かれてしまった。さきの外黄がいこう雎陽すいよう戦で項羽は彭越を取り逃がしたが、その彭越がまたも息を吹きかえして梁に出没している。楚都彭城ほうじょうから糧秣が運ばれて来ると、風のように彭越の兵がやって来てそれを奪うのである。
(彭越を王侯にしておくべきであった)
今更ながら、項羽は悔やまれることであった。
彭越には元来、義も誠もない。そういう男が劉邦に忠誠心を持っているわけではないことは、項羽もわかりかけていた。彭越にとっては単に梁の地と兵を養う食糧が欲しいだけのことであったが、そういう悪党をなぜ懐柔しておけなかったか。もっとも項羽の性格においてはその種の悪を憎むことがはなはだしいために彭越のような男が項羽の傘下さんかで棲息できるはずがない。
(劉邦のようなえたい・・・の知れない奴の下でこそ、彭越がごとき糞土ふんどを練り上げてつくったような男でも息がつけるのだ)
ということを、項羽は近頃わかりはじめてきた。
王侯にしておけばよかった、と思いつつも、項羽はいま彭越が降参して彼の前にやって来たところで、その顔を見ただけで嘔吐おうとするに違いない。
ついでながら、彭越には後日の運命がある。彼は高祖こうそ(劉邦)によって梁王になったが、高祖の妻呂后りょこうに嫌われ、謀叛むほんの疑いを受けて誅殺ちゅうさつされた。その肉は塩漬けにされ、ハムのように切り刻まれて、諸侯に洩れなく贈られた。憎しみを共にせよ、という寓意ぐういであったが、この塩漬けとそれをくらうという形式にはこの大陸に食人の習俗があったことを想像させる。大正十三年、桑原隲蔵じつぞう博士が史学上の立場からこの大陸における食人習俗カニバリズムを論考しているが、いずれにせよ彭越の場合、その末路は食われてしまう。この滑稽とも悲痛とも言いようのない終局によって、彼の人間と人生そのものが痛烈な演劇にされてしまった。
項羽の楚軍は、衰弱しはじめた。
補給の難というのは、兵だけが餓えるのではなかった。付近の城市の民も農村の民もすべて餓えはじめた。数十万の兵が狭い滎陽けいよう成杲せうこう広武こうぶの間にひしめき、しかも後方からのかてがわずかしか来ない以上、土地の者が保有している食糧を奪わざるを得ない。人々はつぼに穀物を入れて土中にうずめたが、兵たちは巧みに嗅ぎつけて掘りかえしては食った。
一昨年以来、滎陽・成杲にぬしは、しばしば交代した。漢軍の場合劉邦が兵を餓えさせぬように心を配ったし、餓えれば遠く関中かんちゅう黄河こうが北岸から食糧を運ばせたが、楚軍の場合、野に満ちているのは楚兵ばかりという強盛を誇りつつ、食糧については平気で民のものを奪った。自然、項羽に対して人々の心が冷たくなり、
── 項王が天下のぬしになれば餓えるのではないか。
と思いはじめた。
地下じげの者の同情は、山上に登りっきりの劉邦に集中し、このため漢軍の諜者ちょうじゃが野に降りて来て楚軍の情報をさぐる時も、人々はすすんで協力するようになった。
たとえば、
虞姫ぐきという項羽の寵姫が成杲城にいる」
ということを、広武山の山上に釘付けされている劉邦が知ったのも、地元からの諜報のおかげであった。
「項羽は、虞姫に会うために広武山と成杲のあいだを通っているのか」
と調べ沙させると、そういう形跡はなかった。項羽は峰の上の本営にのみいる。
(そこが、項羽だ)
劉邦は、おびえとともに思った。項羽が武というものにすべてを賭けていることを劉邦は知っている。戦いを重ねるにつれ、項羽はいいよその傾向を強くした。自分自身の人格を、錬鉄ねりがねでも打つように、武そのものに打ち鍛えてしまっているようなところがあり、劉邦のとってはそれが迷惑な事であった。
(項羽の決意は、よほどのものらしい)
とも、劉邦は右の虞姫に関する諜報で思った。それほど愛しているなら、虞姫を山上に呼べばよい。それをしないというあたりに、この戦いに賭ける項羽の気迫きはくがうかがえるようでもある。
事実、この一戦を以て、楚漢争覇という果てしない戦いの最後のものにしたかった。
げんに、たにをへだてて数百メートルむこうに劉邦がいる。あの捕捉しがたかった劉邦が、眼前 ── 呼ばわれば声の届きそうな近く ── にいる。しかも劉邦が得意としてきた脱出と遁走とんそうは今度ばかりは不可能で、広武山まわりは洪水のように楚の兵がひたしているのである。劉邦は楚の海に浮かぶ島の上にのっかっているだけではないか。
2020/07/12
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