~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
虞 姫 (十二)
(案の定、劉邦が、出てきおったわ)
項羽は、この巨大なえもの・・・を見て、飛び上がるほどに嬉しかった。
「見たか、劉邦。── 」
思わず、たにが割れるほどの声をあげた。
「降参しろ」
降参せねばこの太公たいこう烹殺にころす、というのである。項羽の要求は子供じみていたが、かといって戦わない劉邦に対してこれ以外にどんな方法があるというのか。
劉邦は、黙っていた。やがて、
「項羽よ、忘れたか。わしがお前さんと共に懐王かいおうに仕えていたころ、兄弟の義をちかったことを。である以上、わしの父はお前さんにとっても父である。その父をお前はいま烹殺すろいう」
と、言った。
この理論に世よって、劉邦は父を見殺すというそしり・・・をまぬがれた。逆に項羽のほうに不幸の悪評を立てさせようというのである。
「立派なものだ」
劉邦は嘲笑し、そのあと調子の乗って、
「烹殺した後、その烹汁スープを一杯分けてもらおうじゃないか」
項羽は言葉を失い、失った分だけ怒りが噴き上げ、顔も頭も破裂しそうになっている。
剣だ、と思った。剣以外にどんな解決の方法があるというのか。項羽は剣欛けんぱ手をかけ、いまにも太公を斬り殺そうとした。
が、項伯こうはくがとめた。
項羽に近侍しているこの人物が項羽のおじ・・であることはすでに触れた。項伯は劉邦の幕僚の張良ちょうりょうと旧知の間柄であるだけでなく、しん末、ともに漂泊している時、張良にかくまわれて一命を救われたことがある。この恩にむくいるという倫理的習慣は、ごく一般的にも他のどの文明にもないほどに濃厚であった。項伯はかつて張良に頼まれ、鴻門こうもんかいで劉邦の一命を救った。
「天下を志す者は、一個の狂人です。家族をかえりみるよいうことがありません。この老父を殺しても劉邦は何の痛痒つうようも感じないでしょう。逆に大王は非難されます。殺すことに利がなく、大王が失うことのほうが大きいのです」
と静かに言ったので、項羽はあきらめた。ちなみに項伯は後に漢の射陽しゃよう侯にほうぜられ、劉氏の姓を与えられている。といってこの時期すでに漢に通じていたということではない。

この日の行事は項羽があきらめることで終わったが、彼の焦燥はいよいよつのった。
── 要は武ではないか。
と、項羽は思う。武の極は個人に帰せられる。刀槍とうそうを舞わし、相手と一騎打ちすることだが、項羽はこれを劉邦に求めようとし、口述して側近の者にきぬを書かせ、矢に結んで漢城へ射込んだ。
「戦乱のために天下が餓え、たれもが匈々きょうきょうとして安らがないのは、要するにわれら二人がいるためである」
と、項羽は言う。どちたかが死ねば世は安らぐ。によって余人を交えず、一騎打ちによって勝負をつけようではないか、と項羽は言うのである。
如何いかん
最後に、劉邦の返事を求めている。劉邦はごくそっけなく、
「私は、智恵で戦いたい」
とのみ返事を書き送った。項羽の返事が素朴すぎるために、これ以外に返事の仕様もなかった。
項羽はなおもこの素朴な挑戦法をやめようとはしなかった。
しばしばたにへ選り抜きの壮士を降りさせ、漢軍にいどませた。
「降りて来い」
楚の壮士が、漢城を見あげてどなるのである。
その背後の城楼には楚兵がひしめき、対抗の壮士を選出しない劉邦の臆病を合唱してからかった。
項羽にすれば、この種の壮士仕合をかさねているうちに項羽が飛び出し、劉邦をさし招き、その首をじ切ってしまうという心づもりであった。
「相手になるな」
劉邦は最初の内は一笑に付していたが、楚兵の嘲罵ちょうばがはげしくなるにつれて、これ以上の黙殺は士気にかかわるという状況になった。
「たれか、出よ」
と言った時、軍中で「ローファン」と呼ばれている男が飛び出した。
この男にも名があるはずだが、みな種族の名称で呼んでいた。いまの山西省に、記録的には春秋しゅんじゅうの頃にすでにいたとされる北狄ほくてきの一派で、楼煩ろうはんという漢字があてられる。遊牧をし、騎射に長じていたが、この漢軍の中のローファンはどういう事情で漢族の軍に紛れ込んでいたのであろう。
峰の上の漢城からたにまでの間、犬が一匹やっと上下できる道がつけられている。ローファンが手綱を左右しつつ騎馬で降りはじめた。降りること自体が、曲芸であった。
ローファンを見て、楚軍の中からおなじみの壮士が現れ、これもローファンにならい、騎馬で楚城を降りはじめた。首筋の逞しさが遠目にもわかる巨漢で、右手に弓を持ち、くらわきにほこを横たえ、腰にとびきり長い剣をはいいている。
楚のほうのこみちは、岩が多い。あと十メートルで澗の底というあたりに大きな岩が突起しており、それより下は騎馬のままでは無理であった。楚の男はここまで来た時、漢のローファンを見た。
ローファンもさうがに馬を進むかねていた。つぎの一歩のあために馬のひづめをどこに立てるべきか一瞬迷った時、向う側の楚人は巨体に似合わぬすばやさで矢をつがえ、つがえせざまに放った。
矢はたにを短く越えてローファンのくびあたろうとしたが、この北狄は飛ぶ矢の息を体で知っていた。身をひねって避け、避けた時は独特の短弓を機敏に引き絞った。矢が飛び、楚人が鞍壺から落ちた。岩の上に落ちたはずみ、驚いた馬に巻き込まれ、人馬もろとも澗の底へ落ちて水声をあげた。
が、つぎの瞬間、ローファンは鞍の上で慌てざるを得なかった。
ほんの先刻、楚の壮士がそこに居た岩の上に別の巨漢が立ちはだかっていたのである。
広武山こうぶざんは全体に赤茶けていて樹木が少なかったが、その岩のまわりだけひよわい灌木かんぼくが密生していた。巨漢はその灌木を腰のあたりに巻きつけて立ちはだかっている。
ローファンは夢中で次の矢を番えた。
巨漢は弓さえ持っていない。両者はせいぜい四十メートルの距離であり、ローファンの腕なら敵の体のぢの部分でも射ぬくことが出来た。
が、敵は肉体ではなかった。
気がって渦を巻き、そのまわりがほのおのように燃えている一個のおそるべき何かだった。甲冑の金鋲きんびょうが輝き、朱が燃え、かぶと目庇まんざしの銀が陽をするどくねかえしていたが、それよりもすさまじかったのは、きよのような両眼であった。両眼がいかり、数千の矢のたば・・をローファンの細い目に射注いそそぎこんでくるようで、ローファンは正視する能力をうしなった。それでもなお弓を引き絞ろうとした時、巨漢が真赤な口蓋を見せて叱咤しったした。声はすさまじい殺気になってローファンを圧倒し、体中のけんが溶けるようにえてしまった。ローファンは馬からしおれるようにして降りてしまい、馬を置き捨て、あとは病み犬のような足どりで径をよじ登り、付近の楼に逃げ込んだ。楼の中で震え、二度と澗むこうを見ることをせず、
こう王だ、項王が出た」
と、うわごとのようにつぶやきつづけた。
2020/07/15
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