~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
弁士往来 (四)
世間では、
── 蒯通が韓信をあやつっている。
と思っている。
蒯通自身、そうは思っていない。あやつりたくも、韓信には蒯通の理解し難い意地があって、思うようにならないのである。
(韓信は、韓人かんじん ── 正直の頭に馬鹿がついた男 ── だ)
彼はそう思わざるを得ない。
韓信には稀代きだいの軍才があり、戦えば必ず勝つ。もともと淮陰わいいん城下の無名の書生にすぎなかったこの男の名は、とくに項羽こうう麾下きかの名将竜且りゅうしょが率いる軍を濰水いすい(山東省)の河畔で破ってからというものは、天下に喧伝けんでんされた。
(劉邦はもとより、項羽をもしのぐのではないか)
蒯通は思うのだが、はがゆいことに韓信自身、自分の軍才によって得た巨大な名声をどう思っているのか、いささかも利用しようとしないのである。
── るべし、估るべし。
せっかくの名声を天下に売りつけねばなにもならぬではないか、と蒯通は機会あるごとに韓信に言ったが、韓信は自分の蔵に充ちた財宝に気づかず、相変わらず日銭ひぜにかせぎに駈けまわっている商人のような顔をして、
── それは自分の財宝ではない。
と言い張るばかりであった。
政治や外交のわからない韓信は、蒯通を必要とした。しかし自分が戦場で一功をたてるごとにその名声を種に奇術的な外交機略を編み出す蒯通が怖くなりはじめていた。
(この男の言いなりになっていれば、途方もないことになるのではないか)
たとえば韓信はちょうの五十余城を一年余りで攻略したあと、せいへなだれをうって侵入してたちまちその七十余城をくだしたが、そのことがよかったかどうか、いまだに疑問を感じている。
(むしろ趙でとどまるべきであった)
とさえ思い、後悔することもある。
あの時、劉邦が特派した儒生酈食其れきいきが斉王に説いた雄弁によって漢・斉の同盟が成り、斉はそれを信じ、七十余城の臨戦態勢を解いた。そのすきを韓信がった。すくなくともそういう結果になった。
韓信の側にも言い分がないわけではなかった。彼もまた劉邦から斉へ行くべく命ぜられていた。命ぜられたどころか、劉邦は韓信の尻を蹴り上げるような勢いで、彼を発足させた。その劉邦自身が気を変え、酈食其の策を採用し、平和に斉を同盟国にすべく酈食其を行かせた。相異なる方式の命令を二者に対して下した劉邦の罪である。しかしともかくもいち早く斉に到着した平和の使者の方が成功した。ただ韓信への命令も、劉邦が取り消しを忘れたために生きており、その点においては韓信の武力征服は漢の軍令に違反していない。しかし韓信は斉の国境付近まで来た時、平和が成ったことを知ったのである。知った以上は開戦すべきではないであろう。
── 兵を返そう。
それが斉への信義というものであった。韓信はそう思い、今も気持ちのどこかで軍を返した方がよかったと思っている。しかしあの時、平原津へいげんしん(山東省)の水をのぞみつつ蒯通が韓信に説いた雄弁に負けてしまった。
今も蒯通のを打つような言葉のリズムと精妙な論理をありありと覚えている。
2020/07/20
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