~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
弁士往来 (五)
将軍よ、武とはつらいものでございます。士卒は故郷を離れて山野にし、戦って生還することはむずかしく、まして戦って勝つことはなお困難でございます。しかし乱をおさめて正しきにもどすのは古来武によるしかありませぬ。文によってその地域で一時の和を結んだところで後日必ず背き、乱の種子たねを残すことになります。将軍よ、あなたの不世出の才をもってしても趙の五十余城を降すのに一年余りを要しました。武の困難さはこのようなものでございます。いま酈食其れきいきという一介の儒生が、車の横木に寄りかかったまま三寸の舌をふるって斉の七十余城を降したのでございます。
一枚の舌に、年余の武功が及ばぬというのは、どういうことでございましょう
あの時、蒯通かいとうはこのほか、様々な事を言った。。しかし、
「車の横木に寄りかかった一介の儒生の舌に武が及ばぬ」
という言葉に韓信かんしんの心はつき動かされた。酈食其れきいきへの友情も忘れ、世間が後日、斉人をだまし討ちにした、という悪評を立てるであろう危惧も、心のたなからころがりお落ちた。韓信はむちをあげて全軍に進撃を命じてしまった。
そのおかげで、斉王になった。
もっともこの斉王であるのも、劉邦の弱味につけ入って強要したものであった。ときに劉邦は広武山こうぶざん付近で項羽と対峙たいじして苦戦していた。いま韓信の機嫌を損じて背かれればすべてを失いうと思い、ともかくも斉王に封じたのである。これも蒯通の案であった。
(かん王は、ひそかに根にお持ちになるのではないか)
韓信はふと思い、その旨、蒯通に洩らすと、
「小事でござる」
蒯通は言下にいった。彼にすれば眼中に劉邦の気持への気づかいなどはない。韓信には決して言わなかったが、劉邦などは亡びて行く存在であり、むしろ積極的に滅ぼさねばならぬと思っている。
蒯通は以下のことも決して韓信に洩らさなかったが、この男を天下の主にしたかった。担ぎ上げた人間を天下びとにせずして弁士たる者の真価はない。少なくとも半生の間露に濡れ、雨にうたれ天下を遍歴し、この大陸をわが手でまるめてもの・・に仕上げようと思ったことが無駄になる。彼は漢の一将軍─韓信─の家来になるつもりで韓信をたすけてているのでは決してなかった。
韓信は自分の傍に、彼自身が思いもよらぬほどの大構想を持ち、想念の中では天下を一個のだんご・・・のようにまるめあげいるて男が居ようとは夢にも思っていない。韓信にとって蒯通は彼の足らざるを補う一介の外交係にすぎなかった。小事でござる、という蒯通 の言葉も、韓信は小さく解釈し、
(こだわらずともいい、ということか)
と思い安心した。
酈食其が、漢の裏切り・・・を憤った斉王こうによって烹殺にころされた時、韓信は深くいたんだ。しかし蒯通は声をはげまし、
「弁士たる者、そのしたのでござる」
と、言った。弁士の舌というのはときにその身を殺すことがあるのだ、それが弁士たる者のほまではないか、というもので、蒯通自身、弁士であるだけに、この言葉は韓信の心を打った。
「そうか、酈生れきせいを哀れまずともよいのか」
「まかり間違えば、この蒯通の運命でもありましょう」
と、この男は言ったが、韓信はその意味がよくわからなかった。韓信は外交が苦手なだけにその重要さが十分にはわからず、蒯通を珍重しつつも、この男がやっている仕事をどこか走り使いのようなものだと思っていた。走り使いが、何を大げさな事を言うかと思ったが、ともかくも蒯通ほどに事理の通じた男から、酈生の死は美であると言われたことで、心がやすらいだ。
2020/07/22
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