~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
弁士往来 (六)
項羽こううの将竜且りゅうしょが公称二十万の兵を率いて深くせいに入り、濰水いすいのほとりで韓信かんしんと会戦して惨敗し、自らも死んだという報ほど項羽を動揺させたことはない。
── 韓信を伐つべきか。
伐つとなれば、項羽自身が軍を率いねばならない。楚軍は項羽に直接率いられる時に限って百戦百勝するのである。しかし項羽の前面には劉邦が居て両軍の戦線はたがいににかわの中に足を踏み入れたように動きが取れなくなった入る。
そのうち韓信の斉(現在の山東省)における勢威は日に日に大きくなり、ついに斉の全土を平定して、その国境を項羽の勢力圏(重要な根拠地は現在の江蘇省)に接してしまった。
項羽自身は現在の河南省にいて劉邦と向かい合っている。後方の江蘇省がともすれば彭越ほうえつのゲリラ隊に荒らされてるというのに、韓信と言う大勢力が北から圧迫を加える結果になったしまった以上、前線の項羽軍は根も茎も断ち切られてしまう形成になった。
項羽は、きゅうした。
(劉邦を叩き潰しさえすれば)
問題はなかった。しかし広武山こうぶざんの一峰を要塞化している劉邦は積極的に足をあげて出て来ようとはせず、このためたたこうにも叩けないのである。
「いっそ、韓信を漢から切り離して楚と同盟させるようになさればいかがでございましょう」
と、上申する者があった。
項羽は、おどろいた。
「韓信づれと?」
思いもかけぬことであった。韓信はかつて楚に属し、一介の郎中ろうちゅう(軍営の中の事務局の属官)にすぎなかった。背の高い男だったことは覚えているが、なにやら途方もないことをしきりに献策してきては人の嘲笑を買っていた男である。そういう男に対し項羽のほうから働きかけて同盟しようなどという下手したでの姿勢は、項羽の美的感覚にはわなかった。
(韓信やつのほうから憐れみを乞うためにやって来るべきだ)
項羽は思っている。憐れみを乞えば、かつての鴻門こうもんかいの時劉邦でさえ許してやった。項羽はそういう男であった。武についての誇りが高すぎる項羽にとって、自分に憐れみを乞う弱者に対しては利害を越えて寛大なところがあった。
しかし斉にいる韓信は弱者でもなければ窮してもいない。その点、項羽の右の尺度にいかねる相手であった。
「わしに従え、とでも言わせるか」
項羽は言った。彼は外交など弱者の小細工だと思って来たし。これを用いるのは初めてであった。しかしこの場合、項羽には韓信を引き入れなければ劉邦に対する勝利どころか、この広武山の楚城で、草が枯れるように枯れほろんでしまう恐れさえある。
「よき弁士はいるか」
武渉ぶしょうという者がおります」
この人物は盱眙くい(安徽あんき省)の人で、若い頃の韓信をよく知っているという事を、近頃自慢しはじめている。元来、縦横じゅうおう(外交術)を学び、それを用いるために項羽の吏僚になっているのだが、項羽が外交を好まないために出る幕がなかった。
出発に当たり、項羽は、
「楚の威信を傷つけるな」
と、えるように言った。
2020/07/22
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