~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
弁士往来 (十一)
後日、韓信は漢の帝室からおそれられた。彼は劉邦によって楚王になるが、つねぬ彼の謀叛を噂する者があり、ついに密告者があって劉邦自身の討伐をうけるはめになった。韓信はむじつ・・・ながら単身劉邦にわびを入れ、いったんは囚虜しゅうりょになりつつも、往年の大功によって許され、淮陰わいいん侯に格下げされた。
「わしは信をあわれむ」
と、劉邦は韓信に同情的だったが、呂后りょこうを中心とする勢力が韓信を排除しようとし、様々の策を弄した。このため、つねに針を含んだ衣服を着ているように韓信の状況を安定させなかった。
関心が思案の末に謀叛をくわだてた時は、それを成功させる条件はとっくの昔に去っていた。なかばであらわれ、捕えられて斬刑ざんけいに処せられるのだが、斬られる時、
むかし、蒯通かいとうがわしに説いたとおりの結果になった。あの時あの男の言葉通りにしておればこういうばかなはめにはならずに済んだろう。
と言った。ついでながら韓信を挑発し、謀叛に踏み切らせたのは呂氏の謀略であったといってよく、その刑殺も、彼女の息のかかった吏僚の手でおこなわれた。
韓信が刑殺されるとき、劉邦は鉅鹿きょろくの太守の謀叛を討伐に行って不在だったが、帰って来てこの天才の死を知り、おどろき憐れみ、
── 死にのぞんで韓信はなにか言わなかったか。
と、問うた。劉邦には、うしろめたさがあった。韓信ほどの男が、あの乱世の中でまがりなりにも劉邦に忠信を尽くして来たことは、この時代の人間現象としては奇跡にちかく、そのことはたれよりも劉邦自身が強く感じていた。
が、刑吏が韓信の死の直前の言葉を告げた時、劉邦はとびあがって怒った。というよりも韓信に対してはじめて公然と怒り得る自由を得た。
── あいつは、早くから叛心はんしんを抱いていたのか。
劉邦は、うしとめたさから解放された。
「蒯通ろいう名が出たな」
彼はすぐさましの追捕ついぶを命じた。やがて小太りの蒯通が縛られて都に曳かれて来ると、劉邦自身が尋問した。
「おのれが韓信に謀叛をすすめたのか」
と問うたとき、蒯通は劉邦の顔をなめるように観察してから、そうです、とうなずき、さらに声を大きくして
「私が教えたのです」
と、くりかえした。蒯通 は覚悟していた。弁士が戦士とりもはるかに危険な世渡りであることを彼は知っていたし、すでにその当然の運命が眼前にある以上、せめて自分の名を人々の記憶に残しておきたかった。
「しかしながら、かの豎子じゅし
韓信を小僧よばわりし、地につばを吐いた。
「わいの策を用いなかった」
「なぜだ」
劉邦は問う。
「韓信は一個の小僧」
「小僧はわかった」
「その小僧の内部なかに不世出の軍才が宿ってしまった。すずめの体に天山をくの翼がついたようなものです」
劉邦はかつて韓信が最初の謀叛の容疑で彼も前へ引き出されて来た時のことを思い出した。
あの時劉邦は韓信をいたわって様々の問答をした。話題がたまたま軍才の話になった。かつて死んだ将たちや、生きて英爵を得ている将たちの能不のうふ(有能、無能)を双方が採点して、やがて劉邦が、
このわしはどうだろう。
と、韓信に聞いた。韓信は一笑して、
陛下はせいぜい十万人程度の将でしょう。それ以上の兵力だと、とてもむりです。
と言った、劉邦はそうかと思い、しかしうれしくなく、奇妙な気持をごまかすように両手で顔を何度もこすった。やがて手をおろして韓信に、ではお前はどうだ、と聞いた。韓信は平然と、
多多たたますますキノミ(兵力が多ければ多いほどよい)
と言った。劉邦はもっともだと思いつつも、それほどの韓信が、劉邦の前にとりことして引き出されているのが滑稽で、ふしぎでもあった。百万、千万の将であるお前がなぜわしの前に曳き出されているのか、と聞くと、韓信は言った。
陛下は兵に将たる能力はおありではありません。」しかし将に将たる能力がおありだから私がかような姿で陛下の前に曳き出されているのです。陛下の場合、天授であって、人力ではございません
202/07/28
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