~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
平国侯の逐電 (一)
弁士侯公こうこうという背のひょろ高い男は、依然として劉邦りゅうほうのもとに身を寄せている。
身分は、客であった。
客とは、むろん郎党ろうとうではない。功名によってまれに王侯にとりたてられるほどの褒賞ほうしょうにもありつけるが、平素たいていの客は階級以外の存在である。階級外だけに封地ほうちもなくろくもなく、本営の経費の中で食っているから、実際には食客しょっかくであった。ふところに有り余った金があるわけではなく、侯公もそうであったが、はなみずなど垂らして下級士官よりも貧乏たらしい者が多い。
顧問ということであろうか。
この大陸では戦国の昔からせいの例でもわかるように勢力家のもとにそれぞれの才を持った客が集まり、そのあるじから対等以上の礼を受けた。客が数万人といわれた孟嘗君の例でいえば、彼は客と自分に差を設けず、食事などもおなじものを供した。客の中には学者、論客、弁士、旅行家、政情通などあらゆる専門家がいたが、孟嘗君の場合、いぬの鳴き声を真似るのが上手なこそ泥と鶏の鳴き声の名人までいたという話は有名である。
主人は客に対し、謙譲と手厚い礼儀をもって遇せねばならない。
「先生」
と呼ぶ、あるいはせいと呼ぶ。彼らが、自家の郎従ろうじゅうでもないのに自分のために得難い才智を提供してくれるからである。もし主人の言葉づかいが悪く、自分を低く見たということがあれば、さっさと去ってしまう。その点、客たちは忠誠心というものに拘束だれていなかった。
ついでながら、この習慣はごく近年まで残った。この大陸が軍閥ぐんばつ割拠かっきょで乱れていた時、軍閥の首領のもとに多数の顧問というものがごろごろしていた。獣医の免状一枚だけで顧問になっている場合もあり、侵略する側の日本の軍部から送り込まれた正規軍人がそういう存在である場合も多かった。
劉邦にも、客が多かった。
ふつう主人は客に対し、へりくだって挨拶をする。ときに教えをう場合、相手を師賓しひんとして上座に置き、つつしんでその話を聴くものであった。しかし劉邦はぞんざいで、行儀が悪く、ときに客を馬鹿扱いにしてかかることが多かった。かつて老儒の酈食其れきいきが劉邦の客になろうとしたとき、同郷の高陽こうよう出身の劉邦の士官が、
沛公はいこう(劉邦)の客にだけはなりなさるな」
ととめた。
「なにしろやることが無茶なのです。儒冠じゅかんをかぶっていた客のかんむりをとりあげてその中に小便をしたような人なのです」
この劉邦の挿話そうわは、この大陸の伝統の中で異例と言っていい。
もっともそういう劉邦といえども、客を自分の郎従なみに扱うという事はなかった。
2020/07/28
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