~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
平国侯の逐電 (四)
(侯公は、陸賈の人気をそねんでいる)
人々は思い、その旨陸賈に告げる者があった。
陸賈は驚いて見せ、
「侯公さんは私などとけた・・のちがった才人だ。賢者が愚者に嫉妬しっとするはずがない」
と、言下に打ち消した。
(保身家め)
侯公はあとでこの話を聞いて思った。ただしけた・・ちがいの才人と言われたことは、陸賈が侯公の耳に入ることを計算した上での言葉とはわかっていながら、嬉しくなくはなかった。
後日の陸賈りくかについてふれておきたい。
陸賈はのちそこそこの官禄を得た。
つねに高祖こうそ(劉邦)に侍して物語などしたというから、後世の日本の豊臣期の御伽衆おとぎしゅうのような役割をしたかと思われる。
── 馬上天下を得ても、馬上で天下を治めることは出来ない。
という有名な言葉を残したとされる。
事は、ある日、陸賈が高祖の前に出た時、『詩経』や『書経』を説き、その内容をたたえ、暗に天下びとである高祖に治世の道がそこにあることを知らせようとして、高祖からどなられたことから始まっている。
高祖がののしって、
── このわしは馬上で天下を取ったのだ。『詩経』や『書経』によって取ったのではないぞ。
そんな書が何の役に立つか、と言うと陸賈はしずかに前記のことを述べ、
── 馬上天下を得られた今日、文武をあわせ用いて行かれてこそ、陛下の天下を長久に保つゆえんでございます。むかし呉王ごおう夫差ふさが武を用いすぎたために亡んだという事を陛下はご存じでございましょう。あのしんが、なぜあれほど短い期間で亡びましたか。それは刑法一点張りで天下を治めようとし、民を法網にかけては処刑してその恨みを買ったためでございます。もしあの強秦が刑法万能主義を取らず、先聖道をもって天下を治めておりましたならば、陛下の御手に天下などまわって来なかったでございましょう。
── それはそうだ。
高祖の愛嬌は道理だとわかればひどく従順になることで、その配下から見れば彼の魅力はこのあたりにあったのにちがいない
彼は前言をじ、
── いっそどうだろう。
と、陸賈の機嫌を取るように言った。むかしの興亡した国々のことや、秦がなぜ天下を失い、わしが天下を取ることが出来たか、ということなどを、このわしにわかるように書いてくれないか。
これによって陸賈は『新語」を書き、秦がなぜ亡び、かんがなぜおこったかを、自分が実見した事実に即して述べた。一編を書き上げるごとに高祖の前で朗読したが、そのつど歴戦の群臣が喜び、何度も万歳をとなえたと言われる。『新語』は十二編といわれるが、今はほとんど亡逸ぼういつしている。
ただし司馬遷しばせんが『史記』の楚漢のくだりを書く時に取捨しゅしゃして参考にしたと言われるから、後世の我々は陸賈のはなし・・・を司馬遷の文章によって読んでいるくだりも多いはずである。
この点においては、陸賈は侯公よりも学問があり、文章家であったかも知れない。
2020/07/30
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