~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
平国侯の逐電 (五)
彼は韜晦とうかいの術も心得ていた。
やはり後年の話だが、高祖の死後、その妻の呂后りょこうとその一族が大いに力を得て古い功臣をしりぞけはじめたとき、首都を去って好畤こうじとい土地に隠棲しようとし、田地を買った。好畤は文字どおり土地の肥えた地方であった。
隠退する時、かねて蔵してあった財宝を取り出して千金で売り、五人の子供に二百金ずつ平等に分け与えた。
この財宝は、高祖在世時代、遠く南方の蛮地に使いしてそこの王を高祖の命によって説得し、漢帝国へ参加させたとき、その蛮王から貰ったもので、むろんこの種のことは当時は汚職にならなかった。
しかしそれにしても乱世の弁士として世に立ちながら治世になれば家政をととのえた理財家であり、しかも保身に巧みで、子孫も彼の力で安定したことを思うと、陸賈はこの当時の大陸の人々が理想とした像にやや近い。
陸賈は、弁士としても無能ではなかった。
呂氏りょし一族が勢力を得て高祖の劉氏を圧倒した時、陸賈はその火のさかんな時期には身を避け、機を見てひそかに反呂勢力をまとめて呂氏の勢力を大いにいだ。しかも陸賈自身は目立たなかったから、呂氏一族からにらまれるということもなかった。
陸賈とは、そういう人物である。
彼は侯公に対しても悪声を放ったことがなかった。ただ二度だけ軽い批評を洩らしたことがある。
「侯公先生は、死士に似てる」
死士とは死をして一瞬jに事を決しようという者のいいで、侯公の客道は死士のように栄達や保身の感覚をこそげおとしている、と陸賈は言うのである。
侯公はこれを聞いてかえって喜び、
「客だけではない。弁士たる者はいよいよそうあらねばならぬ」
と言った。
陸賈は、また言う。
「侯公先生は、戦国の孟嘗君もうしょうくん平原君へいげんくん春申君しゅんしんくんなどのまわりにいた客を理想とし今の客を律しようとしている」
つまりはドン・キホーテだ、と後世の西洋でなら言われるところであったが、しかしこの大陸での文明はいにしえに価値を求め、古伝承の中に倫理的人間の典型をもとめる力学があったために、陸賈の言葉は侯公をほめているのである。
げんに、
「高雅きくすべきである」
と、陸賈はいう。
ただ陸賈はつけ加えた。
「戦国は一個の強秦のために他の六国りっこくが圧倒され続けていた時代で、人々の見通しは暗く、六国の側の勢力家もその客たちもどこか絶望のにおいがあった。いまはすでに天下を得る者は項王か漢王かにしぼられている。漢王に身を寄せる我々はただ、明日、漢王とともに太陽の光を浴びるべく懸命に努めればよいだけのことだ。戦国の客のように悲壮になる必要はない」
この言葉を侯公が聞いた時、つばをはげしく地にたたきつけ、
「陸賈とはそういうやつだ」
と言った。栄達と保身でとらわれた思想は、脚に小石を結びつけられた鳥と同じだ、とも言った。地をばたばたとはねまわるばかりで天空をぶことが出来ない。陸賈もそうだ、と言うのである。
2020/07/30
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