~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
平国侯の逐電 (九)
この時期、関中における漢の政都は櫟陽れきようにおかれていた。いまの陝西せいせん臨潼りんとう県の東北にあり、かつて秦都咸陽かんように比べると郡都程度の規模にすぎない。
劉邦は櫟陽に入ると、太子にも会い、蕭何にも会った。
蕭何は相変わらず生真面目で、愚鈍とさえ思えるほどに平凡なかおをしていた。劉邦が沛の町のごろついていたころ蕭何は沛県の属官としていつみても木簡もっかんをナイフで削っては何か書きものをしていた。
当時、秦法は苛烈で、劉邦のような男は何度もつかまりかけた。そのつど蕭何がごまかしてくれた。
蕭何にすれば、法網のこまかい秦の法に苦しんでいる人々に対し運用に面で網に目を広げていたにすぎないが、人々は蕭何の徳であるとした。たしかに蕭何はふしぎな德があり、秦末、地方が乱れて県ごとに自立した時、沛の父老ふろうはごろつきの劉邦より蕭何を首領として推戴すいたい ── 蕭何は断ったが ── しようとしたほどで、そういう出発点から言えばいま蕭何が劉邦に代わってもさほどのふしぎさはなく、すくなくとも劉邦は蕭何の顔を見た時そう思った。
夜、劉邦は蕭何と二人きりで酒を飲んだ。蕭何には安心して泣きごとを言うことが出来た。
「いっそ、お前さんと代わってもらいたい、わしは沛あたりで隠棲いんせいしたい」
劉邦が言った時、蕭何は音をたてて杯を置き、一見愚に見える貌に赤黒い怒りをさしのぼらせつつ、
「陛下、天命をお忘れ遊ばしましたか」
と言った。
劉邦がこの地上の唯一者ゆいつしゃになるというのは天命である、天はさまざまの奇瑞きずいをあらわしてその意思を人々に知らせている。この劉邦が天の意を受けているという奇瑞宣伝は初期劉邦グループが広めたものであったが、当の蕭何自身が本気で信ずるようになっていたのかも知れない。
「天命など、あるかよ」
劉邦は、頭をかかえた。
「蕭何」
頭をあげた。
「あのさまざまな奇瑞は、そこもとたちが広めたのではないのか。みながはやすままにわしまでが踊ってしまった。わしはただの沛の遊び人にすぎなかったのだ」
「疲れていらっしゃる」
蕭何は優しく言った。疲れた者はときに狂者と同様、何を言い出すかわからないことをこの平凡な男は知っていた。
「いっそ、休戦を項羽に提議なさればいかがでしょう」
兵に休養を与え、劉邦自身もしばらく疲れを癒せば、往年、あれほどの敗戦を重ねながら少しも根気に異常のなかったこの男の奇妙さを回復することができるのではあるまいか。
「蕭何よ、あなたは戦場から遠ざかっているので項羽のすさまじさがいまひとつわかっていないのかも知れない。あの男が休戦に応ずるはずがあるものか」
「やってみないかぎり、わかりませぬ」
劉邦も、その気になった。
彼の関中での滞在はわずか四日にすぎなかった。蕭何がそうせよと勧めたことであったが、この四日の間に首都櫟陽れきようの父老を集め、酒宴を開き、手厚く慰問した。もともと父老というのは人民の自治組織の代表者にすぎず、いわばわけ知り・・・・の爺さんたちというにすぎない。こういう人々に対し漢王みずから酒をすすめてまわるというのは、少なくとも秦の時代にはありうべからざることであった。しかし現実の問題として前線に壮丁そうていを送り出す主体が老父である以上、劉邦としては彼らに感謝せざるを得ない。さらには今後ともよろしく頼むと言わざるを得なかった。
そのあと、劉邦は蕭何に見送られて函谷関を出、黄河こうが沿岸の前線へ帰った。
2020/08/01
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