~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
漢王百敗 (五)
劉邦りゅうほうは、すでに決断した。
「項羽を追うのだ」
と、いったん西進しかけていた漢軍の頭をめぐらせてみたが、しかしむちをあげて砂塵さじんを蹴立てて急迫するほどの勇気は劉邦になかった。
彼の行軍は、とても戦闘行軍といえるものではない。臆病な追剥おいはぎが忍び足で旅人の後ろ姿に近づくような具合であった。漢兵たちは今から何が始まるのか首脳部の意図がよく理解できなかった。まして劉邦の大決断で全軍が武者ぶるいをするというようなものではなかった。
事態はすでにごく単純な戦術的段階に入っている。
しかし年来、政略と戦略とを重視してきた劉邦は、このに及んでもなお単純な戦術行動に自軍を投入させることを避け、他の因子群との連合をはかろうとした。連合のために時間を要した。つまりは戦闘行軍が緩々かんかんとして進まなかった。
他の因子としては、まず、北東のせい (山東省)の地で大勢力をにわかにつくった韓信かんしんが居る。韓信は劉邦の武将にすぎなかったが、斉を平定し終えると、当時広武山で手も足も出なかった劉邦の弱り目につけ入り、いわば強要した形で斉王になった。
王になった以上、劉邦と形式的には同格である。この間の格差論は、法理論的にはむずかしい。ただこの国の歴史の中に「王」の上に「覇王」という者が居て、同格ながら他の王に影響力を持つという慣習がある。劉邦はこの慣習により、覇王として(項羽も覇王であったが)韓信を斉王の位置につけたのである。
斉王になった以上、法理論的には劉邦から独立している。
劉邦はこの斉王韓信に急使を送り、
「楚軍はすでに餓え、軍紀はゆるみ、項羽も昔日の威勢がない。私はいま項羽を追ってこれを撃滅しようとしている。斉王はよろしくこの戦場に会同されよ」
と申し送らせた。使いが斉の韓信の本営にたどりつくまで七、八日はかかるであろう。もし韓信が承知してすぐさま軍隊行動を起こしても戦場に到達するには十日はかかるに違いない。そ0の間にすべての戦機が去ってしまうおそれがあったが、劉邦はこの火事場んお中で変に悠長であった。
(ともかくも大軍を結集しなければならない)
劉邦はなによりもそのことを優先した。そのくせ現在の漢軍は諸地方の雑軍で水ぶくれしたいるために楚軍に対してはるかに優越しているのである。
ゲリラの彭越ほうえつにも急使を送った。使いには、
とともに項羽を撃とう。しん末以来、多年の戦乱はこの一戦で終わるのだ。会同に遅れることがないように」
という口上をふくませた。
しかし彭越が素直にやって来るかどうか疑問であった。
2020/08/08
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